どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」
 先生は平生からむしろ質素な服装《なり》をしていた。それに家内《かない》は小人数《こにんず》であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢《ぜいたく》といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家《うち》でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐《あぐら》をかいていたが、こういい終ると、竹の杖《つえ》の先で地面の上へ円のようなものを描《か》き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直《まっすぐ》に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」
 先生の言葉は半分|独《ひと》り言《ごと》のようであった。それですぐ後《あと》に尾《つ》いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の
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