生がいった。
「覚《さ》めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生は肯《うけ》がってくれなかった。
「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭《いや》になります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」
「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」
「私はお気の毒に思うのです」
「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」
 先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿《つばき》の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺《なが》める癖があった。
「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」
 その時|生垣《いけがき》の向うで金魚売りらしい声がした。その外《ほか》には何の聞こえるものもなかった。大通りから二|丁《ちょう》も深く折れ込んだ小路《こうじ》は存外《ぞんがい》静かであった。家《うち》の中はいつもの通りひっそり
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