残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺華山《わたなべかざん》は邯鄲《かんたん》という画《え》を描《か》くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達《せんだっ》て聞きました。他《ひと》から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中《うち》にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半《なか》ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。
 しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃《ころ》には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷《いちがや》の叔母《おば》の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の間《あいだ》に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。
 私は私の過去を善悪ともに他《ひと》の参考に供するつもりです
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