して何の窮屈も感じなかった。差向《さしむか》いで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで忘れてしまった。そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。しかしそれを話す前に、ちょっと断っておきたい事がある。
先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるという事は、東京へ帰って少し経《た》ってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。
先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想については、先生と密切《みっせつ》の関係をもっている私より外《ほか》に敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常に惜《お》しい事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利《き》いては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜《けんそん》過ぎてかえって世間を冷評するようにも聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼《だれかれ》を捉《とら》えて、ひどく無遠慮な批評を加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々《うんぬん
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