膳《ぜん》を運んで来てくれたのですが、それがいつの間にか崩れて、飯時《めしどき》には向うへ呼ばれて行く習慣になっていたのです。Kが新しく引き移った時も、私が主張して彼を私と同じように取り扱わせる事に極《き》めました。その代り私は薄い板で造った足の畳《たた》み込める華奢《きゃしゃ》な食卓を奥さんに寄附《きふ》しました。今ではどこの宅《うち》でも使っているようですが、その頃《ころ》そんな卓の周囲に並んで飯を食う家族はほとんどなかったのです。私はわざわざ御茶《おちゃ》の水《みず》の家具屋へ行って、私の工夫通りにそれを造り上《あ》げさせたのです。
私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋《さかなや》が来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だと私が考えた時、お嬢さんは私の顔を見てまた笑い出しました。しかし今度は奥さんに叱《しか》られてすぐ已《や》めました。
二十七
「一週間ばかりして私《わたくし》はまたKとお嬢さんがいっしょに話している室《へや》を通り抜けました。その時お嬢さんは私の顔を見るや否《いな》や笑い出しました。私はすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったのでしょう。それをつい黙って自分の居間まで来てしまったのです。だからKもいつものように、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなりました。お嬢さんはすぐ障子《しょうじ》を開けて茶の間へ入ったようでした。
夕飯《ゆうめし》の時、お嬢さんは私を変な人だといいました。私はその時もなぜ変なのか聞かずにしまいました。ただ奥さんが睨《にら》めるような眼をお嬢さんに向けるのに気が付いただけでした。
私は食後Kを散歩に連れ出しました。二人は伝通院《でんずういん》の裏手から植物園の通りをぐるりと廻《まわ》ってまた富坂《とみざか》の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その間《あいだ》に話した事は極《きわ》めて少なかったのです。性質からいうと、Kは私よりも無口な男でした。私も多弁な方ではなかったのです。しかし私は歩きながら、できるだけ話を彼に仕掛《しか》けてみました。私の問題はおもに二人の下宿している家族についてでした。私は奥さんやお嬢さんを彼がどう見ているか知りたかったのです。ところが彼は海のものとも山のものとも見分《みわ》けの付かないような返事ばかりするのです。しかもその返事は要領を得ないくせに、極めて簡単でした。彼は二人の女に関してよりも、専攻の学科の方に多くの注意を払っているように見えました。もっともそれは二学年目の試験が目の前に逼《せま》っている頃《ころ》でしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が学生らしい学生だったのでしょう。その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。
我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後《あと》一年だといって奥さんは喜んでくれました。そういう奥さんの唯一《ゆいいつ》の誇《ほこ》りとも見られるお嬢さんの卒業も、間もなく来る順になっていたのです。Kは私に向って、女というものは何にも知らないで学校を出るのだといいました。Kはお嬢さんが学問以外に稽古《けいこ》している縫針《ぬいはり》だの琴だの活花《いけばな》だのを、まるで眼中に置いていないようでした。私は彼の迂闊《うかつ》を笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるものでないという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。彼は別段|反駁《はんばく》もしませんでした。その代りなるほどという様子も見せませんでした。私にはそこが愉快でした。彼のふんといったような調子が、依然として女を軽蔑《けいべつ》しているように見えたからです。女の代表者として私の知っているお嬢さんを、物の数《かず》とも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、私のKに対する嫉妬《しっと》は、その時にもう充分|萌《きざ》していたのです。
私は夏休みにどこかへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないような口振《くちぶり》を見せました。無論彼は自分の自由意志でどこへも行ける身体《からだ》ではありませんが、私が誘いさえすれば、またどこへ行っても差支《さしつか》えない身体だったのです。私はなぜ行きたくないのかと彼に尋ねてみました。彼は理由も何にもないというのです。宅《うち》で書物を読んだ方が自分の勝手だというのです。私が避暑地へ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、それなら私一人行ったらよかろうというのです。しかし私はK一人をここに残して行く気にはなれないのです。私はただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り
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