までもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。
私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々|陳腐《ちんぷ》になって来た。これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも置かないように、ちやほや歓待《もてな》されるのに、その峠を定規通《ていきどお》り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解《わか》らない変なところを東京から持って帰った。昔でいうと、儒者《じゅしゃ》の家へ切支丹《キリシタン》の臭《にお》いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。無論私はそれを隠していた。けれども元々身に着いているものだから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留《と》まった。私はつい面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。
父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはり私の知っている以外に異状は認められなかった。私は冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も母も反対した。
「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。
「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。
私は自分の極《き》めた出立《しゅったつ》の日を動かさなかった。
二十四
東京へ帰ってみると、松飾《まつかざり》はいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。
私《わたくし》は早速《さっそく》先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸《しいたけ》もついでに持って行った。ただ出すのは少し変だから、母がこれを差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置いた。椎茸は新しい菓子折に入れてあった。鄭寧《ていねい》に礼を述べた奥さんは、次の間《ま》へ立つ時、その折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子《おかし》」と聞いた。奥さん
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