はずだから持って行きたまえ」
先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥《ちゃだんす》か何かの抽出《ひきだし》から出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧《ていねい》に重ねて、「そりゃご心配ですね」といった。
「何遍《なんべん》も卒倒したんですか」と先生が聞いた。
「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」
「ええ」
先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。
「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。
「そうさね。私が代られれば代ってあげても好《い》いが。――嘔気《はきけ》はあるんですか」
「どうですか、何とも書いてないから、大方《おおかた》ないんでしょう」
「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。
私はその晩の汽車で東京を立った。
二十二
父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床《とこ》の上に胡坐《あぐら》をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝《じっ》としている。なにもう起きても好《い》いのさ」といった。しかしその翌日《よくじつ》からは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性《ふしょうぶしょう》に太織《ふとお》りの蒲団《ふとん》を畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよ」といった。私《わたくし》には父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。
私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母《ちちはは》の顔を見る自由の利《き》かない男であった。妹は他国へ嫁《とつ》いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹《きょうだい》三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしている私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放《ほう》り出して、休み前に帰って来たという事が、父には大きな満足であった。
「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山《ぎょうさん》な手紙を書くものだからいけない」
父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床《とこ》を上げさせて、いつものような元気を示した。
「あんまり軽はずみをし
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