私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室《へや》まで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ不断着《ふだんぎ》の羽織を引《ひ》っ掛《か》けて、私の後《あと》に跟《つ》いて来ました。私は室へはいるや否《いな》や、今まで開《あ》いていた仕切りの襖《ふすま》をすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋《あご》で隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは蒼《あお》い顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦《いすく》まったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫《あや》まりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫《わ》びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生《へいぜい》の私を出し抜いてふらふらと懺悔《ざんげ》の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きと怖《おそ》れとが、彫《ほ》り付けられたように、硬《かた》く筋肉を攫《つか》んでいました。

     五十

「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙《からかみ》を開けました。その時Kの洋燈《ランプ》に油が尽きたと見えて、室《へや》の中はほとんど真暗《まっくら》でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中を覗《のぞ》き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。
 それから後《あと》の奥さんの態度は、さすがに軍人
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