や》めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑《おさ》え始めたのです。

     四十四

「Kの果断に富んだ性格は私《わたくし》によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔《ゆうじゅう》な訳も私にはちゃんと呑《の》み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫《つら》まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍《なんべん》も咀嚼《そしゃく》しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺《うご》き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶《はんもん》、懊悩《おうのう》、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳《たた》み込んでいるのではなかろうかと疑《うたぐ》り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺《なが》め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返《いっぺん》彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻《みまわ》したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼《めっかち》でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図《いちず》に思い込んでしまったのです。
 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間《ま》に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極《き》めました。私は黙って機会を覘《ねら》っていました。しかし二日|経《た》っても三日経っても、私はそれを捕《つら》まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風《ふう》の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
 一週間の後《のち》私はとうとう堪え切
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