そうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐《すわ》りました。私はすぐ両肱《りょうひじ》を火鉢の縁から取り除《の》けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。
 Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方|叔母《おば》さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君《さいくん》だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日|過《すぎ》だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより外《ほか》に仕方がありませんでした。

     三十六

「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を已《や》めませんでした。しまいには私《わたくし》も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が顫《ふる》えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生《へいぜい》から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖《くせ》がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易《たやす》く開《あ》かないところに、彼の言葉の重みも籠《こも》っていたのでしょう。一旦《いったん》声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
 彼の口元をちょっと眺《なが》めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付《かんづ》いたのですが、それがはたして何《なん》の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
 その時の私は恐ろしさの塊《かたま》りといいましょうか、または苦しさの塊りといい
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