銚子《ちょうし》まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊《こみなと》という所で、鯛《たい》の浦《うら》を見物しました。もう年数《ねんすう》もよほど経《た》っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然《はんぜん》とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮《にちれん》の生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二|尾《び》磯《いそ》に打ち上げられていたとかいう言伝《いいつた》えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を傭《やと》って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
その時私はただ一図《いちず》に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺《たんじょうじ》という寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍《がらん》でした。Kはその寺に行って住持《じゅうじ》に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装《なり》をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠《すげがさ》を買って被《かぶ》っていました。着物は固《もと》より双方とも垢《あか》じみた上に汗で臭《くさ》くなっていました。私は坊さんなどに会うのは止《よ》そうといいました。Kは強情《ごうじょう》だから聞きません。厭《いや》なら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外|丁寧《ていねい》なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKと大分《だいぶ》考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮《そうにちれん》といわれるくらいで、草書《そうしょ》が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙《まず》いKは、何だ下らないという
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