ぜ私のために悪いかと聞くと、今度は向うで苦笑するのです。
 実をいうと私だって強《し》いてKといっしょにいる必要はなかったのです。けれども月々の費用を金の形で彼の前に並べて見せると、彼はきっとそれを受け取る時に躊躇《ちゅうちょ》するだろうと思ったのです。彼はそれほど独立心の強い男でした。だから私は彼を私の宅《うち》へ置いて、二人前《ふたりまえ》の食料を彼の知らない間《ま》にそっと奥さんの手に渡そうとしたのです。しかし私はKの経済問題について、一言《いちごん》も奥さんに打ち明ける気はありませんでした。
 私はただKの健康について云々《うんぬん》しました。一人で置くとますます人間が偏屈《へんくつ》になるばかりだからといいました。それに付け足して、Kが養家《ようか》と折合《おりあい》の悪かった事や、実家と離れてしまった事や、色々話して聞かせました。私は溺《おぼ》れかかった人を抱いて、自分の熱を向うに移してやる覚悟で、Kを引き取るのだと告げました。そのつもりであたたかい面倒を見てやってくれと、奥さんにもお嬢さんにも頼みました。私はここまで来て漸々《ようよう》奥さんを説き伏せたのです。しかし私から何にも聞かないKは、この顛末《てんまつ》をまるで知らずにいました。私もかえってそれを満足に思って、のっそり引き移って来たKを、知らん顔で迎えました。
 奥さんとお嬢さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何《なに》かをしてくれました。すべてそれを私に対する好意から来たのだと解釈した私は、心のうちで喜びました。――Kが相変らずむっちりした様子をしているにもかかわらず。
 私がKに向って新しい住居《すまい》の心持はどうだと聞いた時に、彼はただ一言《いちげん》悪くないといっただけでした。私からいわせれば悪くないどころではないのです。彼の今までいた所は北向きの湿っぽい臭《にお》いのする汚い室《へや》でした。食物《くいもの》も室|相応《そうおう》に粗末でした。私の家へ引き移った彼は、幽谷《ゆうこく》から喬木《きょうぼく》に移った趣があったくらいです。それをさほどに思う気色《けしき》を見せないのは、一つは彼の強情から来ているのですが、一つは彼の主張からも出ているのです。仏教の教義で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢《ぜいたく》をいうのをあたかも不道徳のように考えていました。なまじい昔の高僧だ
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