ともいいませんでしたけれども、自分の所へこの姉から同じような意味の書状が二、三度来たという事を打ち明けました。Kはそのたびに心配するに及ばないと答えてやったのだそうです。運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。
 私はKと同じような返事を彼の義兄|宛《あて》で出しました。その中《うち》に、万一の場合には私がどうでもするから、安心するようにという意味を強い言葉で書き現わしました。これは固《もと》より私の一存《いちぞん》でした。Kの行先《ゆくさき》を心配するこの姉に安心を与えようという好意は無論含まれていましたが、私を軽蔑《けいべつ》したとより外《ほか》に取りようのない彼の実家や養家《ようか》に対する意地もあったのです。
 Kの復籍したのは一年生の時でした。それから二年生の中頃《なかごろ》になるまで、約一年半の間、彼は独力で己《おの》れを支えていったのです。ところがこの過度の労力が次第に彼の健康と精神の上に影響して来たように見え出しました。それには無論養家を出る出ないの蒼蠅《うるさ》い問題も手伝っていたでしょう。彼は段々|感傷的《センチメンタル》になって来たのです。時によると、自分だけが世の中の不幸を一人で背負《しょ》って立っているような事をいいます。そうしてそれを打ち消せばすぐ激するのです。それから自分の未来に横《よこ》たわる光明《こうみょう》が、次第に彼の眼を遠退《とおの》いて行くようにも思って、いらいらするのです。学問をやり始めた時には、誰しも偉大な抱負をもって、新しい旅に上《のぼ》るのが常ですが、一年と立ち二年と過ぎ、もう卒業も間近になると、急に自分の足の運びの鈍《のろ》いのに気が付いて、過半はそこで失望するのが当り前になっていますから、Kの場合も同じなのですが、彼の焦慮《あせ》り方はまた普通に比べると遥《はる》かに甚《はなはだ》しかったのです。私はついに彼の気分を落ち付けるのが専一《せんいち》だと考えました。
 私は彼に向って、余計な仕事をするのは止《よ》せといいました。そうして当分|身体《からだ》を楽にして、遊ぶ方が大きな将来のために得策だと忠告しました。剛情《ごうじょう》なKの事ですから、容易に私のいう事などは聞くまいと、かねて予期していたのですが、実際いい出して見ると、
前へ 次へ
全186ページ中125ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング