いているらしかった。
「気の毒だね」といって、庭の方を向いた。
私は自分の部屋にはいって、そこに放り出された行李を眺めた。行李はいつ持ち出しても差支《さしつか》えないように、堅く括《くく》られたままであった。私はぼんやりその前に立って、また縄を解こうかと考えた。
私は坐ったまま腰を浮かした時の落ち付かない気分で、また三、四日を過ごした。すると父がまた卒倒した。医者は絶対に安臥《あんが》を命じた。
「どうしたものだろうね」と母が父に聞こえないような小さな声で私にいった。母の顔はいかにも心細そうであった。私は兄と妹《いもと》に電報を打つ用意をした。けれども寝ている父にはほとんど何の苦悶《くもん》もなかった。話をするところなどを見ると、風邪《かぜ》でも引いた時と全く同じ事であった。その上食欲は不断よりも進んだ。傍《はた》のものが、注意しても容易にいう事を聞かなかった。
「どうせ死ぬんだから、旨《うま》いものでも食って死ななくっちゃ」
私には旨いものという父の言葉が滑稽《こっけい》にも悲酸《ひさん》にも聞こえた。父は旨いものを口に入れられる都には住んでいなかったのである。夜《よ》に入《い》ってかき餅《もち》などを焼いてもらってぼりぼり噛《か》んだ。
「どうしてこう渇《かわ》くのかね。やっぱり心《しん》に丈夫の所があるのかも知れないよ」
母は失望していいところにかえって頼みを置いた。そのくせ病気の時にしか使わない渇くという昔風の言葉を、何でも食べたがる意味に用いていた。
伯父《おじ》が見舞に来たとき、父はいつまでも引き留めて帰さなかった。淋《さむ》しいからもっといてくれというのが重《おも》な理由であったが、母や私が、食べたいだけ物を食べさせないという不平を訴えるのも、その目的の一つであったらしい。
十
父の病気は同じような状態で一週間以上つづいた。私《わたくし》はその間に長い手紙を九州にいる兄|宛《あて》で出した。妹《いもと》へは母から出させた。私は腹の中で、おそらくこれが父の健康に関して二人へやる最後の音信《たより》だろうと思った。それで両方へいよいよという場合には電報を打つから出て来いという意味を書き込めた。
兄は忙しい職にいた。妹は妊娠中であった。だから父の危険が眼の前に逼《せま》らないうちに呼び寄せる自由は利《き》かなかった。といって、折角
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