濯したての真白《まっしろ》なものに限られていた。
「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用いるくらいなら、一層《いっそ》始《はじ》めから色の着いたものを使うが好《い》い。白ければ純白でなくっちゃ」
 こういわれてみると、なるほど先生は潔癖であった。書斎なども実に整然《きちり》と片付いていた。無頓着《むとんじゃく》な私には、先生のそういう特色が折々著しく眼に留まった。
「先生は癇性《かんしょう》ですね」とかつて奥さんに告げた時、奥さんは「でも着物などは、それほど気にしないようですよ」と答えた事があった。それを傍《そば》に聞いていた先生は、「本当をいうと、私は精神的に癇性なんです。それで始終苦しいんです。考えると実に馬鹿馬鹿《ばかばか》しい性分《しょうぶん》だ」といって笑った。精神的に癇性という意味は、俗にいう神経質という意味か、または倫理的に潔癖だという意味か、私には解《わか》らなかった。奥さんにも能《よ》く通じないらしかった。
 その晩私は先生と向い合せに、例の白い卓布《たくふ》の前に坐《すわ》った。奥さんは二人を左右に置いて、独《ひと》り庭の方を正面にして席を占めた。
「お目出とう」といって、先生が私のために杯《さかずき》を上げてくれた。私はこの盃《さかずき》に対してそれほど嬉《うれ》しい気を起さなかった。無論私自身の心がこの言葉に反響するように、飛び立つ嬉しさをもっていなかったのが、一つの源因《げんいん》であった。けれども先生のいい方も決して私の嬉《うれ》しさを唆《そそ》る浮々《うきうき》した調子を帯びていなかった。先生は笑って杯《さかずき》を上げた。私はその笑いのうちに、些《ちっ》とも意地の悪いアイロニーを認めなかった。同時に目出たいという真情も汲《く》み取る事ができなかった。先生の笑いは、「世間はこんな場合によくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語っていた。
 奥さんは私に「結構ね。さぞお父《とう》さんやお母《かあ》さんはお喜びでしょう」といってくれた。私は突然病気の父の事を考えた。早くあの卒業証書を持って行って見せてやろうと思った。
「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。
「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞いた。
「ええ、たしかしまってあるはずですが」
 卒業証書の在処《ありどころ》は二人ともよく知らなかっ
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