いので夜ふけてまた入浴、誰もゐない薄暗い湯壺にずんぶりひたつて水音に心を澄ます、……内湯のありがたさ、山の湯のありがたさである、……よくねむれた。
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万座よいとこ、水があふれて湯があふれて。
昔風で、行き届かないやうな、気のきかないやうな昔ぶりがうれしい。
遠慮のない、見得を張らないで済む気安さ。
のんびりとくつろげる。
苦湯《ニガユ》へ下つて一浴びしなかつたことは惜しかつた、その豊富な素朴な孤独味を知らなかつた(長野で北光君に教へられて残念がつた)。
草津は金持と患者とが入湯するところだらう、万座はしづかに体を養ひ気を吐くところである、プロでもブルでも。
古来からの有名さと交通の便利さとが草津を享楽郷とし、また療養地とした、たしかに草津の湯は効く、浴してゐるといかにも効くやうに感じる。
万座は交通の不便で助かつてゐる、草鞋穿きで杖をつかなければ登つて行けないところに万座のよさの一つがある。
こん/\と湧いてなみ/\と湛へてそしてどし/\溢れる温泉のあたゝかさ。
この湯宿は案外田舎式であるが、そこによいところ好もしいところがある、ヘマなサービスぶりにもかへつて愛嬌がある。
朝の膳に川魚のカツレツが載せてある、ちようど草津の宿で、夕飯としてカレーライスをどつさり出されたやうなものだ、おかしくもあり、いやでもあり、珍妙々々。
私が温泉を好むのは、いはゆる湯治のためでもなく遊興のためでもない、あふれる熱い湯に浸つて、手足をのび/\と伸ばして、とうぜんたる気分になりたいからである。
豊富な熱湯、閑静な空気が何よりだ。

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   ――(山をうたふ)――
・春の鳥とんできてとんでいつた(白根越へ)
・ひとりで越える残雪をたべては
・山ふところ咲いてゐる花は白くて
・杖よどちらへゆかう芽ぶく山山
・墓が一つこゝでも誰か死んでゐる
・山路しめやかな馬糞をふむ
・残雪ひかる足あとをたどる
・山路たま/\ゆきあへばしたしい挨拶
・春の山のそここゝけむりいたゞきから吐く
・いたゞきの木はみんな枯れてゐる風
・残雪の誰かの足あとが道しるべ
   ――(山をうたふ)――
・山は火を噴くとゞろきの残雪に立つ
・すべつて杖もいつしよにころんで
・残雪をふんできてあふれる湯の中
・とつぷり暮れて音たてて水
   万座温泉
・水音がねむらせないおもひでがそ
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