林、前は青々と茂る草のむかうに残雪の八ヶ岳蓼科の連峰、よい眺望である。
初めて林檎の木と花とを見た。
信濃――北国山国はどこでもさうであるが――梅桜桃李一時開で、自然も人間も忙がしい。
此地方には山羊が多い、おとなしい家畜だが、あの鳴声はさびしい。
一里あまり歩いて、香坂明泉寺。
自然石のよい石碑が立つてゐる、曰く
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南朝忠臣香坂高宗
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お山へ登る、老樹うつさうとして小鳥がしきりに囀づる。
頂上十二丁目、大正十二年八月摂政宮殿下御登臨之処といふ記念碑が建てられてある、眺望がよろしい、白馬連山が地平を白く劃つてゐる。
木蔭の若草に寝そべつて、握飯を食べる、一壜を携へて来ることは忘れてゐない、ほろ/\酔ふてうたゝ寝する、まことに大[#「大」に「マヽ」の注記]平楽である。
一杯の水も仏の涙かな――といふ風の閼迦流山くづしがむき出してある、放浪詩人三石勝五郎さんの作。
ぶら/\歩いて戻つたのは四時頃であつた。
電報が二通来てゐた、比古君から、澄太さんからである、どちらも有難い通知だつた。
こゝで私はまた我がまゝ気まゝな性癖を発揮して、汽車で小諸へ向つた、明後日また引返してくるつもりで。
私の滞在もずゐぶん長くなつた、桑が芽ぶいて伸びた。……
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今日の収穫
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・あるけばかつこういそげばかつこう
・落葉松は晴れ切つてかつこう
・若葉したたるながれで旅のふんどしを
・お山へのぼる花をむしつてはたべ
・岩に腰かけ樹にもたれ何をおもふや
・いただきの木のてつぺんで鳥はうたふ
・おべんたうをひらくどこから散つてくる花びら
・雲かげもない木の芽のしづか
・寝ころびたいスロープで寝ころぶ若草
・落葉松落葉まどろめばふるさとの夢
・落葉松落葉墓が二つ三つ
懐古園三句
・浅間は千曲はゆうべはそゞろ寒い風
・ゆふ風さわがしくわたしも旅人
・その石垣の草の青さも(牧水をおもふ)
・浅間をむかうに深い水を汲みあげる
・ぞんぶんに水のんで去る藤の花
・風かをる信濃の国の水のよろしさ
・虱がとりつくせない旅から旅
・浅間へ脚を投げだして虱をとる
・まんなかに池がある昼の蛙なく(岩村田遊廓)
・浅間したしいあしたでゆふべで
(此の二句父草居にて)
・ゆつくりいくにち桑が芽ぶ
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