匂い、埃及《エジプト》煙草の口を切ったときの匂い、親友から来た手紙の封を破ったときの匂い。……
 穏かな興奮と軽い好奇心と浅い慾望と。……
       ○
 一度行った土地へは二度と行きたくない。一度泊った宿屋へは二度と泊りたくない。一度読んだ本は二度と読みたくない。一度遇った人には二度と遇いたくない。一度見た女は二度と見たくない。一度着た衣服は二度と着たくない――一度人間に生れたから、一度男に生れたから、一度此地に生れたから、一度此肉躰此精神と生れたから。……
 一度でなくして二度となったとき、それは私にとって千万度繰り返すものである。終生□れ難い、離れ得ないものである。
       ○
 いつまでもシムプルでありたい、ナイーブでありたい、少くとも、シムプルにナイーブに事物を味わいうるだけの心持を失いたくない。
 酒を飲むときはただ酒のみを味わいたい、女を恋するときはただ女のみを愛したい。アルコールとか恋愛とかいうことを考えたくない。飲酒の社会に及ぼす害毒とか、色情の人生に於ける意義とかいうことを考えたくない。何事も忘れ、何物をも捨てて――酒というもの、女性というものをも考えずして、ただ味わいたい、ただ愛したい。
       ○
 片田舎の或る読者から観て――その読者の受ける気分とか感じとか心持とかいうものによって、日末[#「末」に「ママ」の注記]現代の文学雑誌及び文学者を二つのサークルに分つことが出来る。
 スバル、白樺、三田文学、劇と詩、朱欒。永井荷風氏、吉井勇氏、北原白秋氏、秋田雨雀氏、上田敏氏、小山内薫氏、鈴木三重吉氏。……
 早稲田文学、文章世界、帝国文学、新小説。島村抱月氏、田山花袋氏、相馬御風氏、正宗白鳥氏、馬場孤蝶氏、森田草平氏。……
       ○
 現代の日本文明を呪咀して、江戸文明に憧憬し仏蘭西文明を駆[#「駆」に「ママ」の注記]歌する荷風氏。現実の醜悪を厭うて夢幻に遁れんとする未明氏。温雅淡白よりも豊艶爛熟を喜ぶ白秋氏。
 或る意味に於て、すべての人間はアイデアリストである。ドリーマーである。ロマンチケルである。アナクロニズムといい、エキゾーチシズムという語は色々な、複雑な意味を持っていると思う。
       ○
 俳壇の現状は薄明りである。それが果して曙光であるか、或は夕暮であるかは未だ判明しない。
 俳句の理想は俳句の滅亡であ
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