四日」に二重傍線] 曇、時雨。

なか/\降らない、降りさうなものだ、降つてもらひたい、と空を眺めてゐるうちに、ぽつり/\しぐれてきた、よい雨だ、何十日ぶりかの、雨らしい雨だ、刈入には気の毒でないでもないが、畑の物は助かつた。
うまい朝飯、いはゆるうまいものは何もないけれど、飯だけでもうまい/\。
昼飯にも夕飯にも塩雑魚をあぶつて食べる、なか/\よい味である、それにつけても、噛み砕く歯が欲しい。
今日は酒なしデー、しめやかな日だつた。
鈴虫が一匹、そこらに生き残つて鳴きつゞけてゐる、生きものの悲壮な声[#「生きものの悲壮な声」に傍点]である(俳句もさういふ声でありたい)。
――書きたくてたまらない手紙、書かなければすまない手紙、その手紙が書けないのである、書いても出せないのである、――過去の放縦、不始末が口惜しい、――憂愁懊悩たへがたし。――
醜怪な夢を見た。……
[#天から4字下げ]二人の無用人[#「二人の無用人」に傍点](私とNさん)

 十一月五日[#「十一月五日」に二重傍線] 晴。

私としては朝寝だつた、六時のサイレンを聞いてから起床、夜が長く日が短かくなつたものだ。
秋も老いた、私も老いた。
いよ/\三八九[#「三八九」に傍点]を復活することにきめた、身心を整理するにはさうするより外に方法がないことが分つた。
過去を清算せよ[#「過去を清算せよ」に傍点]、一切を整理せよ[#「一切を整理せよ」に傍点]。
午前、I酒店の主人が空罎をあつめに寄つて、しばらく世間話、彼はよい娘を持つてゐる、のんべいだ、いろ/\の苦労をしたらしい。
しみ/″\食べること[#「しみ/″\食べること」に傍点]、――味ふこと[#「味ふこと」に傍点]。
今日も酒なし、飯はある!
風が初冬らしく吹きはじめた。
[#ここから1字下げ]
生死はもとより一大事なり、されば飲食一大事なり、男女のまじはりも一大事なり。
風は風なり、水は水なり、雲は雲なり、花は花なり、そして風は水なり、雲なり、花なり。
人は人なり、草は草なり、虫は虫なり、犬は犬なり、そして人は草なり、虫なり、犬なり。
百舌鳥よ、こほろぎよ、がちやがちやよ。
草よ、柿よ、石よ。
雲よ、水よ。……
[#ここで字下げ終わり]

 十一月六日[#「十一月六日」に二重傍線] 晴、――曇、――雨。

冬が来た、冬ごもり[#「冬ごもり」に傍点]の季節が近寄つた。
今日も酒なし、明日は米なし、いつも銭なし!
午後、ポストへ、ついでに湯屋へ。
野菊を床に、龍膽を机に飾る、これだけでも今日の私は幸福だ。
朝は晴れ、夕は曇り、夜はしめやかな雨となつた。
[#ここから1字下げ]
自然無尽蔵[#「自然無尽蔵」に傍点]。――
観よ、観よ、観よ。
作れ、作れ、作れ。
それだけで[#「それだけで」に傍点]、私は十分だ[#「私は十分だ」に傍点]。
[#ここで字下げ終わり]

 十一月七日[#「十一月七日」に二重傍線] 時雨。

しぐれはまことによろし、枯れてゆく草のまことにうつくし。
あるだけの御飯を食べて、そこはかとなくそこらをかたづける。
眼鏡が合はないのか、視力が弱つて、あたりがぼうつとしてゐる。
正午の汽車で遠足で西下する魚眠洞さんに逢ふべく出かけようとしてゐるところへ、おもひがけなくTさんとMさんとが来庵、Tさんはあいかはらずやりつぱなしで、Mさんはいつものやうにおとなしい、うれしかつた、ありがたかつた、大阪に於ける旅中のあれこれをおもひだして、何となくさびしくもあつたが、ちよつと話して、すぐいつしよに駅へ出かけた、樹明君を待ちあはせて、二人でプラツトに魚眠洞さんを迎へ、そして別れた、うれしくもありかなしくもあつた。
私はTさんMさんに誘はれて湯田へ、いろ/\御馳走になりつゝ明るいうちから更けるまで歓談した、そして名残は尽きないけれど零時の汽車で見送つた。
今日はほんたうにうれしいありがたい日だつた、そしてさびしいかなしい日でもあつた。……
どうにもならないかなしさは竹原のKさんからの手紙だつた、Kさんの心情、奥さんの心情がひし/\と胸にしみいつた、Kさん、かなしいことをいはないで、早く快くなつて庵を訪ねて来て下さい、私は待つてゐます。
Tさん、そしてKさん、おかげで私は助かりました、ありがたう、ありがたう。……
何という私の弱さ、あさましさ、だらしなさ、……私は私を罵り鞭打ちつゝ泣いた。……
[#ここから1字下げ]
婦人公論十一月号所載の、三浦環女史の自叙伝を読んで、彼女の芸術に対する情熱と自信とにうたれた。
自分の道[#「自分の道」に傍点]を精進するだけの情熱と自信[#「情熱と自信」に傍点]とはいつも持つてゐたい、万一それを失ふならば、彼が本当の芸術家であるならば、狂か死[#「狂か死」に傍点]があるばかりである。
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