庵中無一物
 酔うて戻つてさて寝るばかり
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 四月十三日[#「四月十三日」に二重傍線] 好晴。

久しぶりに、ほんたうに久しぶりに畑仕事、土を耕やし、草をぬき捨て、大小便をかけて、いつでも胡瓜や茄子やトマトや大根や、植えられるやうにして置く。
酒はあるけれど飲まなかつた[#「酒はあるけれど飲まなかつた」に傍点]、飲みたいのを飲まないのではない、飲みたくないから飲まなかつたのである、私は昨日までしば/\飲みたくない酒[#「飲みたくない酒」に傍点]を飲んだ、酔ひたいために飲んだのである、むろんにがい酒[#「にがい酒」に傍点]だつた、身も心もみだれる酒だつた。……
過去一年間の悪行乱行が絵巻物のやうに、フイルムのやうに展開する、――それは破戒無慚な日夜だつた。……
私は何故死なゝかつたか、昨春、飯田で死んでしまつたら、とさへ度々考へた。……
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我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋痴
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
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一切我今皆懺悔、そして私は新らしい第一歩[#「新らしい第一歩」に白三角傍点]を踏み出さなければならない。――
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・山から白い花を机に
・春寒い夢のなかで逢うたり別れたりして
・ひつそりさいてちります
・機音とんとん桜ちる
・さくらちるビラをまく
・とほく蛙のなく夜半の自分をかへりみる
・けふもよい日のよい火をたいて(澄太君に)
・伸びるより咲いてゐる
   黎々火君に
 わかれしなの椿の花は一輪ざしに
・おくつてかへれば鴉がきてゐた
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 四月十四日[#「四月十四日」に二重傍線] 曇、また雨となり風が出た。

身心寂静。
ひとりしづかに自分を見詰めてゐるところへ、風雨の中を酒が来た、しばらくして樹明君とSさんとがやつてきた、ニベと胡瓜とを持つて。
まづ樹明君が酔ふ、Sさんも、酔ふたらしい、私は酔へない、酔ひたくない、ほどよく別れて、寝床に入つたが、どうしてもねむれない、起きてまた飲んで、そしてお茶漬を食べた、おかげでぐつすりねむれた。
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・藪かげ藪蘭の咲いて春風
・空へ積みあげる曇り
・雨が風となり風のながるゝを
・水音ちかくとほく晴れてくる木の芽
・みんな咲いてゐる葱もたんぽぽも
・なんでもかんでも拾うてあるく蛙なく(鮮人屑ひろひ)
・もう葉ざくらとなり機関車のけむり
・うどん一杯、青麦を走る汽車風景で
・風がつよすぎる生れたばかりのとんぼ
・山ふところわく水のあればまいまい
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 四月十五日[#「四月十五日」に二重傍線] 曇、めつきりぬくうなつた。

去年の今日[#「去年の今日」に傍点]をおもふ、飯田で病みついた日である、死生の境[#「死生の境」に傍点]を彷徨しだした今日である。
アルコールの誘惑[#「アルコールの誘惑」に傍点]! その誘惑からのがれなければならない、いや、アルコールに誘惑されないほどの、不動平静の身心を練りあげなければならない。
アルコールの誘惑と酒のうまさ[#「酒のうまさ」に傍点]とは別々である。
柿の芽がうつくしい、燕の身軽さよ。
いや/\ながら街へゆく(この事実でも私の衰弱を証明する、一日三度も街へ出かけた私ではなかつたか)、出さなければならない手紙もあるし、石油もなくなつたし、塩すらもなくなつてゐるから、――米もなくなつてゐるけれど、買ふだけの銭がないので、今日はそば粉か何かですます(これは断じて貧乏ではない)。
塩ほど必要でそして安価なものはない、同時に、酒ほど贅沢で高価なものはない、といへる。
腹は酒でいつぱいになつた、しかも酔へない、何といふ罰あたり[#「罰あたり」に傍点]だらう、悲惨だらう。
しづかに飲む、おのづから酔ふ、山は青くして水の音、鳥が啼きます、花が散ります、あああ。
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   ぐうたら手記
□生活感情、生活リズム[#「生活リズム」に傍点]、生活気分。
□俳句であるといふ以上は俳句の制約[#「俳句の制約」に傍点]を守らなければならない。
□俳句性とは――
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単純化[#「単純化」に傍点]
     直観[#「直観」に傍点]   冴え――凄さ。
求心的[#「求心的」に傍点]
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生活感情┐
社会感情├リズム
時代感情┘
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 四月十六日[#「四月十六日」に二重傍線] 曇、后晴。

酒があるから酒を飲んだ、飯はないから食べなかつた、明々朗々である。
たより、それ/″\にありがたし、一つのたよりには一つの性格がある、人生がある。
やつと米が買へた、米がないことはほんたうに情ない。
十何日ぶりに入浴髯剃、さつぱりがつかりした。
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