らない原稿を書く。
――絶後蘇へる――といふ禅語がある、私の卒倒は私を復活させたのである。
午後、蜆貝でも掘るつもりで川尻へ行く(魚釣しようにも鉤がないし蚯蚓も買へないから)、一時間ばかり水中にしやがんで五合ばかり掘つた、これ以上は入用がないので、土手の青草をしいて、渡場風景を眺める、ノンビリしたものである。
蜆貝といふものはとても沢山あるものだと思ふ、商買[#「買」に「マヽ」の注記]人が二人、金網道具ですくうてゐたが、半日で三斗位の獲物があるさうだ、いづれどこか貝類をめづらしがる地方へ送るのだらう、帰途、かねて見ておいたみぞはぎ[#「みぞはぎ」に傍点]を持つてかへつて活ける、野の花はうつくしい。
一日留守にしておいても何一つ変つてゐない、出たときのまゝである、今日は柿の葉が一枚散り込んでゐるだけ!
蜆貝汁をこしらへつゝ、私は私の冷酷、いや、人間の残忍といふことを考へずにはゐられなかつた。
仲秋無月ではあるまいけれど、雲が多いのは残念だ、思はず晩酌を過して、ほんたうに久しぶりに、夜の街を逍遙する、例の如くYさんから少し借りる、あちらで一杯、こちらで一杯、涼台に腰をかけさせて貰つて与太話に興じたりする、そのうちに幸か不幸かH君に会ふ、M食堂へ誘はれて這入る、女給よりも刺身がうまかつた! 酔歩まんさんとして戻つたのは三時頃か、アルコールのおかげで前後不覚。
……酔うても乱れない[#「酔うても乱れない」に傍点]……山頭火万歳!
雲がいつしかなくなつて月が冴えてゐたことは見逃さなかつた、仲秋らしい月光に照らされて、私は労れてゐたけれど幸福だつた。
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・とうふやさんの笛が、もう郵便やさんがくるころの秋草
・すすきすこしほほけたる虫のしめやかな
砂掘れば水澄めばなんぼでも蜆貝
食べやうとする蜆貝みんな口あけてゐるか
秋の蚊のするどくさみしくうたれた
徳利から徳利へ秋の夜の酒を
・ひとりいちにち大きい木を挽く
いつとなく手が火鉢へ蝿もきてゐる
ゆふべのそりとやつてきた犬で食べるものがない
・秋雨ふけて処女をなくした顔がうたふ
・何がこんなにねむらせない月夜の蕎麦の花
・こゝろ澄ませばみんな鳴きかはしてゐる虫
・おのれにこもればまへもうしろもまんぢゆさけ
出れば引く戻れば引く鳴子がらがら
・ひとりとひとりで虫は裏藪で鉦たたく
風が肌寒い新国道のアイスキヤンデーの旗
・人のつとめは果したくらしの、いちじくたくさんならせてゐる
いちめんの稲穂波だつお祭の鐘がきこえる
厄日あとさきの雲のゆききの、塵芥《ゴミ》をたくけむり
[#ここで字下げ終わり]
九月十三日[#「九月十三日」に二重傍線] 晴、曇、雨。
少々頭が重い、胃も悪い、昨夜の今朝[#「昨夜の今朝」に傍点]だから仕方がない、やめておくれよコツプ酒だけは、――と自分で自分にいひきかせて微苦笑する。
山の先生か、山の鴉か、これも微苦笑物だ。
夕立がさつときて気持を一新してくれた、涼風といふよりも冷気が身にしみる。
新秋の風物は、木も草も山も空も人もすが/\しい。
今月に入つてから初めて生魚を買ふ、雑魚十銭(先月は一度塩鱒の切身を十一銭で買つたゞけだつた)。
障子をあけてはゐられないほど秋風が吹く、蓮の葉の裏返つた色にも秋の思ひが濃くゆらぐ。
前のWさんから鶏頭数株を貰つてきて、前庭のこゝそこに植ゑる、こゝにも秋が色濃くあらはれるだらう。
夜おそく、酔樹明君がやつてきた、煙草二三服吸うて帰つていつた、君の心持は解る、酒を飲まずにはゐられない心持、飲めば酔はずにはゐられない心持、そして酔へば乱れずにはゐない心持――その心持は解りすぎるほど解る、それだけ私は君を悲しく思ひ、みじめに感じる。
有仏処勿住[#「有仏処勿住」に傍点]、無仏処走過[#「無仏処走過」に傍点]、である、樹明君。
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・わかれて遠い瞳が夜あけの明星
・草ふかく韮が咲いてゐるつつましい花
植ゑるより蜂が蝶々がきてとまる花
・日向ぼつこは蝿もとんぼもみんないつしよに
・更けると澄みわたる月の狐鳴く
・朝月あかるい水で米とぐ
[#ここで字下げ終わり]
九月十四日[#「九月十四日」に二重傍線] 曇、ひやゝか。
朝は大急ぎで、原稿を書きあげて、層雲社へ送つた、駅のポストまで行つた。
尻からげ[#「尻からげ」に傍点]! 私はいつからとなく、尻からげする癖を持つやうになつた、尻をからげることはよろしい、尻をまくること[#「尻をまくること」に傍点]はよろしくないが。
曼珠沙華を机上に活ける、うつくしいことはうつくしいけれど、何だか妖婦に対してゐるやうな。
午後は近郊散策、これからはぶらりぶらりとあてなく歩くのが楽しみだ。
今明日は上郷八幡宮の御祭礼、明日明後日はまた中領八幡様
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