」に傍点]。

 八月廿五日[#「八月廿五日」に二重傍線]

曇、風模様、二百十日前後らしい天候。
出勤途上、樹明君が立ち寄つて暫らく話す。
晴れてきた、おだやかなお天気となつた。
気分はすぐれないけれど、もう食べるものがなくなつたから、しようことなしに近在行乞、やうやく米一杯半と句四つ戴いた。
△昨日の御飯が少しばかり残つてゐたので昼飯をすます、少々ベソをかいてゐる、お茶漬にして食べる、ルンペンを通つてきたおかげで、何でもおいしくして腹をいためない。
△これから水がうまくなる、と今朝樹明君と話しあつたことである、むろん、酒はいよ/\ます/\うまくなる。
秋が来ると、私はいつも牧水の酒の歌をおもひださずにはゐられない。
こんばんの御飯はほんとうにおいしかつた、からだのぐあいもだいぶよくなつたやうだ、気持がうかないのは一杯やらないからだらう(二十二日、二十三日、二十四日、二十五日と四日間飲まな[#「飲まな」に傍点]い、いや飲めない[#「飲めない」に傍点])、機械も人間も同様で、油がきれたのだ、誰か来て油をさしてくれる人はないか、などゝアル中患者の愚痴を一言書き添へて置く。
昨日から待ちつゞけてゐる敬坊は今日も来なかつた、私は失望するよりも、何かあつたのではないかと心配する。
△行乞帰途、路傍に捨てゝあつた大根を拾うてきた、そして浅漬にして置いた、勿論、捨てゝあつたぐらゐだから牛の尻尾みたいな屑大根である、それでも私が作つたのよりもよく出来てゐる、私は不生産的な人間だから、せめて物を粗末にしないことによつて、それを少しでも償ひたいと努めてゐる、そしていつも物の冥加[#「物の冥加」に傍点]といふことを考へてゐる、生きてゐるよろこびを知るならば生かされてゐるありがたさを忘れてはならない。
それにつけても、その大根を拾ひあげるとき、私は何だかきまり[#「きまり」に傍点]が悪かつた、禅坊主らしくもない羞恥感である、古徳先聖の勝躅を再思三考せよ(巻煙草の吸殼を拾ふ場合は別である、それは恥ぢなければならない、恥づべき享楽のあらはれだから)。
△ありがたさがもつたいなさ[#「ありがたさがもつたいなさ」に傍点]となるとき、その人の宗教的情操は高揚したといつていゝ、彼はもののいのち[#「もののいのち」に傍点]にぴつたり触れたのだ。
[#ここから2字下げ]
・まへもうしろもつく/\ぼうしつ
前へ 次へ
全10ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング