」に傍点]。
荒瀧山、ちよつとよい山だ。
けふのおべんたうはおいしかつた、敬治君の奥さんにあつくお礼を申上げなければならない。
けふぐらゐ水をたくさん飲んだことはあまりない、まことにうまい水だつた、山の水は尊し[#「山の水は尊し」に傍点]。
米が重かつた、腰が痛むほどだつた、しかしこの米のおかげで暫らく休養することができるのだ。
小野を通つて帰庵したら六時を過ぎてゐた、戻るより水を汲み火を熾し飯を炊いた、もちろん寝酒は買うて戻ることを忘れてゐない。
[#ここから1字下げ]
銭 四十三銭
今日の所得 行程七里
米 一升六合
[#ここで字下げ終わり]
此度の敬治居訪問はほんとうによかつた、敬治君にもよりよく触れたし、奥さんのよいところよくないところも解つた、敬坊万歳、どなたも幸福であれ。
この旅中に私の不注意を実証する出来事が三つあつた、敬治居で眼鏡をこわしたことが一つ、途上辨当行李をなくしたことが一つ、そしてあとの一つは帰庵して、すこし酔うて茶碗を割つたことである、こゝに記して自己省察の鍵とする。
[#ここから2字下げ]
けふも暑からう草の葉のそよがうともしないかなかな
・山をまへに昼虫の石に腰かける
・山ほとゝぎす解けないものがある
・おのが影のまつすぐなるを踏んでゆく
・炎天の影の濃くして鉄鉢も
・石に腰かけて今日のおべんたう
遠雷すふるさとのこひしく
・水音の青葉のいちにち歩いてきた
・けふいちにちの汗をながすや蜩のなくながれ
・雷鳴が追つかけてくる山を越える
・日照雨ふる旅の法衣がしめるほどの
・かげは松風のうまい水がふき
[#ここで字下げ終わり]
ぢつとしてゐることは――暑中閑坐は望ましくないこともないが――それは、今の私には、生活上で、また精神的にも許されない。
一衣一鉢、へう/\として炎天下を歩きまはるのである。
[#ここから2字下げ]
・山の鴉はけふも朝からないてゐる
・手紙焼き捨てるをお湯が沸いた
・風の枯木をひらふては一人
[#ここで字下げ終わり]
戻るなり、水を汲み胡瓜を切り御飯を炊く、いやはや忙しいことである、独居は好きだけれど寂しくないこともない、たゞ酒があつて慰めてくれる、南無日本酒[#「日本酒」に傍点]如来である。
[#ここから5字下げ]
水と酒と句(草本塔[#「草本塔」はママ]に題す)
――(山頭火第二句集自序)――
[#ここで字下げ終わり]
私は酒が好きなやうに水が好きである。
これまでの私の句は酒(悪酒でないまでも良酒ではなかつた)のやうであつた、これからの私の句は水(れいろうとしてあふれなくてもせんせんとしてながれるほどの)のやうであらう、やうでありたい。
この句集が私の生活と句境とを打開してくれることを信じてゐる、淡として水の如し、私はそこへ歩みつゝあると思ふ。
[#ここから2字下げ]
・何か落ちたる音もしめやかな朝風
追加二句
・なんとうつくしい日照雨ふるトマトの肌で
・夾竹桃さいて彼女はみごもつてゐる
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
七月十七日[#「七月十七日」に二重傍線]
夢のない眠り、千金にも値する快眠だつた。
毎日暑いことである、夕立がきさうでこない、ばら/\と日照雨。
街へ買物にちよつと出たが汗でびつしよりになつた、石油十銭、醤油七銭、眼鏡四十五銭、……酒まではまはらない。
茄子胡瓜、胡瓜茄子ばかり食べてゐる。
野菊(嫁菜の花)が咲きはじめた、トマトも色づいてきた。
らつきよう一升十銭、その手入で午後はつぶれた。
夕は早くから蚊帳の中、待つてゐたが樹明君はやつてこなかつた。
今夜は十七夜、宮島祭だつたらう。
[#ここから2字下げ]
・ころ/\ころげてまあるい虫
・つながれて吠えるばかりの仔犬の暑さ
・朝からはだかで蝉よとんぼよ
・夕立つや蝉のなきしきる
夕立つや逃げまどふ蝶が草のなか
[#ここで字下げ終わり]
七月十八日[#「七月十八日」に二重傍線]
朝ぐもり、蝉しぐれ、身心なごやかなり。
胡瓜の味噌煮、茄子の浅漬うまし。
緑平老から涙ぐましいほど温かい手紙がくる、さつそくビール代や新聞代の借銭を払ふ、荷が軽くなつて吻とする。
入浴、身心のび/\とする。
夕立が沛然とやつてきた、よい雨だつた、よろこんだのは草木ばかりぢやない、虫も人もよろこんだ。
夕方、樹明君が御馳走を持つてきた、酒と鑵詰と、――たのしく飲んで、酔うて、寝てしまう。
[#ここから2字下げ]
・朝風のいちばん大きい胡瓜をもぐ
・肥をやる菜葉そよ/\そよぐなり
・朝はすゞしく菜葉くふ虫もつるんで
・朝の水はつらつとしていもりの子がおよいでゐる
・日ざかり黄ろい蝶
・山のあなたへお日様見送つて御飯にする
・寝るには早すぎるかすかに
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