、――そして酒、酒。
[#ここから1字下げ]
  押売の押売
これは鏡子君の話、君の門柱には、物貰、押売謝絶の札がうつてゐ[#「ゐ」に「マヽ」の注記]る、あれは或る日或る男がきて、無断でうちつけて、さて十銭ですといつたのださうな、――これこそ押売を排する押売だらう!
[#ここで字下げ終わり]

 六月七日[#「六月七日」に二重傍線]

曇、終夜、障子がガタ/\鳴つてゐたことを覚えてゐる、あれだけ飲んでもこれだけ真面目だ、喜んでいゝかどうかはわからないが。
出勤前の星城子君来訪、幸雄さんはそれよりも早く見舞つてくれてゐる。
しみ/″\友情を感じる、道としての句作の力をひし/\感じる。
八幡は労働都市だけあつて、たべもの店が多くて安い、そこで私もサケとビールとシヨウチユウとのカクテルを飲んだ。
いそいで街を離れた、黒崎から左へ曲つてホツとした、人間的臭気の濃厚には堪へきれない私となつてゐた。
遠賀川の青草はよい、遊んでる牛もよい。
笠がやぶれた(緑平老の眼につくほど)。
香春岳は旅人の心をひきつける。
途中、木屋瀬を行乞する、五時前にはもう葉ざくらの緑平居に着いた。
月がボタ山のあなたからのぼつた、二人でしんみりと話しつゞける、葉ざくらがそよいでくれる。
彼の近状をこゝで聞き知つたのは意外だつた、彼が卒業して就職してゐるとはうれしい、幸あれ、――父でなくなつた父の情である。
[#ここから2字下げ]
・青葉へ無智な顔をさらして女
 ぽつきり折れてそよいでゐる竹で
・こゝから路は松風の一すぢ
 養老院の松風のよろしさ
・ともかくも麦はうれてゐる地平
 牛といつしよに寝て遊ぶ青い草
   緑平居
 葉ざくらとなつてまた逢つた
 ひさ/″\逢つてさくらんぼ
・がつちりと花を葉を持つて泰山木
[#ここで字下げ終わり]

 六月八日[#「六月八日」に二重傍線]

名残惜しい別れ、緑平老よ、あんたのあたゝかさはやがてわたしのあたゝかさとなつてゐる。
晴れて暑い、行程六里、身心不調、疲労困憊、やうやくにして行橋の糀屋といふ木賃宿に泊つたが、こゝもよい宿だつた。
アルコールの力を借りて、ぐつすりと睡ることができた、そのアルコールは緑平老のなさけ。
[#ここから2字下げ]
  木屋瀬行乞
米弐合に銭弐拾銭
  行橋行乞
米四合に銭四十七銭
[#ここで字下げ終わり]

 六月九日[#「六月九日」に二重傍線]

朝のうち行橋行乞、行乞相は当然よくなかつた。
小倉までよい道連れ――中年の商人――を得て助かつた、行程五里。
惣参居はおだやかな家庭である、お嬢さんが三味線の稽古をしてゐた、此一事にも惣参居士の心ばえがしのばれる。
二人で湯屋へ行く、湯の空色が気に入つた。
いつものやうに酒を十分いたゞく、お布施もいたゞく、御馳走はなかつたが、温情があまつた。
泊れといはれたが、お断りして安宿に泊つた、三角屋といつて、相客が多くてうるさかつたが、悪い宿ではなかつた。
今夜は飲みすぎた、酔ひすぎた。
小倉はさすがに昔からの城下町だけあつて、とゝなうておちついてゐる。
[#ここから2字下げ]
・かげは楠の若葉で寝ころぶ
・橋の下のすゞしさやいつかねむつてゐた
 わかれきて峠となればふりかへり
・風のてふてふのゆくへを見おくる
   仲哀洞道
 登りつめてトンネルの風
 落穂ひろうては鮮人のをとこをなご
・こゝろむなしく旅の煤ふる
[#ここで字下げ終わり]

 六月十日[#「六月十日」に二重傍線]

今日も暑い、とても行乞なんか出来ない、電車で門司へ、なつかしい海峡をしたしい下関へ渡る、いつもの岩国屋へ泊る、可もなく不可もないといふところ、遠慮のないのが何よりである。
よう寝られた。

 六月十一日[#「六月十一日」に二重傍線]

すつかり夏景色夏心地だ、一刻も早く帰庵したい、そしてわがまゝ[#「わがまゝ」に傍点]きまゝなひとりになりたい。
長府まで電車、長府から小郡まで汽車、やれやれといふ気分だつた。……
八幡で四有三君、小城さん、下関で地橙孫君に逢へなかつたのは残念だつた。
――別事なし――出て歩いても、戻つて来てもこんな気がする。
――やつぱりひとりがよろしい――こんな句が出来る自分を再発見する。
――生死去来は生死去来に任す――どうやらこゝまで達したやうである。
[#改ページ]

 六月十一日[#「六月十一日」に二重傍線] 入梅。

三時帰庵した、歩けば二日の行程を汽車は二時間で運んでくれた(こゝで改めて、近代文化のありがたさ、金銭のありがたさを痛感した)。
私はぐつたりと疲れてゐた、帰るなり寝た。
△雑草、雑草、雑草に埋れた気分に浸つて。
飲みすぎたからでもあらう、年のせいでもあらう、暑いためでもあらう、――とにかく私は労れてゐた、そして何はなくとも、私は私の
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング