ある、清潔とか何とかは第二第三の要件である、此宿のおかみさん抜目がなさすぎる、いたづらにきれい好きで、そしてふしんせつだ。
街上所見の一――これはまた、うどんやが硝子戸をはめてカフヱー日輪となつてゐる、立看板に美々しく『スマートな女給、モダーンな設備、サーピ[#「ピ」に「マヽ」の注記]ス(セーピスぢやない)百パーセント』さぞ/\非スマートな姐さんが非モダーな[#「ーな」に「マヽ」の注記]チヤブ台の間をよた/\することだらう(カフヱー全盛時代には山奥や浦辺にもカフヱーと名だけつけたものがうよ/\してゐた、駄菓子が[#「子が」に「マヽ」の注記]カフヱーベニスだつたりした、もつともそこは入川に臨んでゐたから、万更縁がないでもなかつたが)。
もう蕨を触れ歩く声が聞える、季節のうつりかはりの早いのには今更のやうに驚かされる。
同宿五人、私はひとり[#「ひとり」に傍点]を守つて勉強した。
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・山から自転車でさくら売つてきた
 いつ咲いたさくらまで登つてゐる
 腹底のしく/\いたむ大声で歩く
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 四月九日[#「四月九日」に二重傍線] 申分のない晴、町内行乞、滞在、叶屋。

今日はよく行乞した、こんなに辛抱強く家から家へと歩きまはつたことは近来めづらしい、お天気がよいと、身心もよいし、行乞相もよい、もつとも、あまりよすぎてもいけないが。
行乞中、毎日、いやな事が二三ある、同時にうれしい事も二三ある、さしひきゼロになる、けふもさうだつた。
花が咲いて留守が多い、牛が牛市へ曳かれてゆく、老人が若者に手をひかれて出歩く、子供は無論飛びまはつてゐる。
花、花、花だ、満目の花だ、歩々みな花だ、『見るところ花にあらざるはなし』『触目皆花』である、南国の春では、千紫万紅[#「千紫万紅」に傍点]といふ漢語が、形容詞ではなくて実感だ。
風呂へいつたついでに駅へ立ち寄つたら、凱旋兵歓迎で人がいつぱいだ、わづか一兵卒(といつては失礼だけれど)を迎へるのに一村総出で来てゐる(佐賀市で出征兵士見送の時もさうだつた)、これだけの銃後の力があつて日本兵が強くなければ嘘だと思つた。
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・蕨がもう売られてゐる
 鳩も雀も燕までをりていたゞいてゐる
 夫婦仲よく鉄うつやとんかん(鍛冶屋)
・春風のボールにうたれた(行乞途上)
 乞食となつて花ざかり
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世間師にもいろ/\ある、殊に僧形を装うていろ/\の事をやつてゐるが、私は行乞を尊重する、ガラ(行乞の隠語)が一等よろしい、かへりみてやましいところがない(いや、すくない)。
夕食後、春宵漫歩としやれる、伊万里も美しい町である、山も水も、しかし人はあまり美しくないやうである。
今夜の同宿は三人、一人は活動に、一人は浪花節にいつた、私は後に残つて読書。
今夜もまた眠れない、眠れないのでいろ/\のラチもない事を考へる――酒好きは一切を酒に換算する、これが一合、いや、これで一杯やれる、等、等、等。
私はしよつちう胃腸を虐待する、だから、こんどのやうに胃腸が反逆するのはあたりまへだ。
聖人に夢なく凡人に夢は多すぎる、執着のないところに夢はない、夢は執着の同意語の一つだ、私はよく悪夢におそはれる、そして自分で自分の憎愛の念のはげしいのにおどろく。

 四月十日[#「四月十日」に二重傍線] 曇后晴、行程八里、唐津市、梅屋(三〇・上)

八時から六時まで歩きつゞけた、黒川と波多津とで行乞、海岸路山間路、高低曲折の八里を歩いて来たのだから、山頭火いまだ老いず矣(但し途中キツケ水注入)。
伊万里は勿論、途上、空家貸家売家がよく目につく、不景気は深刻である。
今日の道はよかつた、自動車どころか行人もあまり見受けなかつた、しづかでうれしかつたが、同時に、道をまちがへてだいぶ無駄足をふんだ(訊ねる家も人もないやうなところで)。
さすがに田舎は気持がよい、手掴みで米を出すやうな人もなく、逢ふ人はみな会釈する、こちらが恥づかしくなるほどだ。
御大典記念の時計台がこしらへてある、いゝ思ひつきだけれど、あんなところにこしらへたのが、さて、どのくらゐ役立つだらうかとも考へられる。
今日、はじめて蟇を聞き蛇を見た。
やつぱり南国の風景は美しすぎる、築山のやうな山、泉水のやうな海、――まるで箱庭である。
山ざくらはもう葉ざくらとなつてゐた。
山村のお百姓さんはほんたうによく働らいてゐる、もつたいないと思つた、すまないと思つた。
同宿四人、二人は夫婦、仲のよいことである。
今夜の酒はうまかつた、酒そのものはあまりよくないのに。
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 学校も役場もお寺もさいたさいた
 朝ざくらまぶしく石をきざむや
 うたつてもおどつてもさくらひらかない
・石がころんでくる道は遠
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