か」
「誰がわざ/\冗談を言いに来るかよ、ほかの家には行かないが、佐太郎さんになら行くとこういう話だ、はツは」
 かね/″\初世の婚期が過ぎるのを心配していた叔父の千代助が、初世に直接あたつて根掘り葉掘りきいてみると、佐太郎の家が働き手がなくて困つているらしいという話だが、あんな家なら嫁に行つて田圃を仕付けてやりたいという、意外な返事であつた。
「本当の話なら、拝んで貰うよ」
 源治はムツクリと寝床から起き上つた。それなり、もう再び寝込まなかつた。
 善は急げで、話はトン/\拍子に運んで、やがて角かくしも重々しい初世は、佐太郎の軍服姿の写真の前で、三々九度の盃を重ねて、直きに源治の家の人となつた。そして三日目からは、もう初世の若々しい姿が、源治の田圃に見出された。真新しい菅笠の真紅なくけ紐をふくらんだ顎にクツキリと食いこませたその姿が、終日家裏の苗代で動いていた。
「源治は仕合せ者だよ、あんないい嫁をもつてな」
 村の人々はそういう風に評判した。いくら手不足でも、この村ではまだ女で馬をつかうのは見かけなかつたが、やがて初世は馬耕をやりはじめたからであつた。そうして春野を殆ど一手でこなしてしまつたのだつた。
 つづいて田植、除草と、天気のいい日に、手甲手蔽の甲斐々々しさで菅笠のかげに紅い頬をホンノリ匂わせた初世の姿を見かけないことはなかつた。足のわるい源治の姿が、ヒヨツコリ/\奴凧みたいに、そういう初世にいつもつきまとつて動いていた。
 家では佐太郎の陰膳を据えることを、初世は毎日朝晩欠かしたことがなかつた。

       五

 明後日から田植《さつき》にかかるつもりの眼のまわる忙しい日だつたが、作業は休みということになつて、母親のタミと初世の二人は、御馳走ごしらえにいそがしかつた。
 自分の陰膳の据えられた仏壇を拝んでから爐ばたの足高膳の前に坐つた佐太郎は、五年ぶりのドブロクの盃を三つ四つ、重ねるうちに、もういい加減酔つてしまつた。
 思いがけなく突然生きて戻つて来た長男と、差し向いで盃を重ねていた源治は、やがてゴロリと膳のわきに寝ころがつた佐太郎に向つて、水屋の方にいる初世をチヨイ/\と振りかえりながら、言い出した。
「なあ、お前の写真の前で盃事したどもなあ、田植出来したら改めて祝儀するべやなあ、なんぼ金かかつたつて、これだけは一生に一度のことだからなあ」
 そう言う源治の圧しの利きすぎた沢庵みたいに皺寄つた眼尻はうつすらと濡れていた。
 恋に狂つた蛙の声が一際やかましい夜が来た。昼の間は互いに顔をそむけて素知らぬ風をしていたが、寝床に入ると佐太郎はソツと初世の手をひいた。
「俺の家に来るつもりなら、戦地に出かける前にそう言えばよかつたろう」
「まさか」
「口で言わなくてもさ[#「言わなくてもさ」は底本では「言はなくてもさ」]」
「しましたよ」
 荒れてはいるが熱い手が、佐太郎のそれを握り返して来た。
「嘘言え」
「本当ですよ」
「いつ――どこで」
「わからないつて――この人は――そら、草刈に行つたとき百合の花をやつたでしよう」
 なるほど、そう言えばそんなことがあつたのを、佐太郎は記憶の底から引ツぱり出した。あの神明社のお祭の少しあと、稲刈にかかる前の山の草刈で、馬の背に刈草をつけての戻り路、佐太郎は途中で自分の家の馬におくれて歩いている初世を追い越した。
 初世の手には、何本かの真赤な山百合の花が握られていた。
「きれいだな」
 と、思わず[#「思わず」は底本では「思はず」]振り返つた途端、初世はバタ/\と追いかけて来て、黙つて百合の花を差し出した。
「呉れるツてか」
 何気なく受けとつて、佐太郎はドン/\馬を曳いて行つた。
 今になつて考えてみると、なるほど初世はそのとき、何か思つている顔つきであつた。
「そうか/\、百合の花なあ」
 佐太郎は語尾を長くひつぱつて、深くうなずいた。



底本:「賣春婦」村山書店
   1956(昭和31)年11月10日発行
入力:大野晋
校正:仙酔ゑびす
2009年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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