俵」
 眼をまわしたが、直ぐに気をとり直した。
「十俵とは大したもんだなあ、が、時世時節《ときよじせつ》で仕様がない、俺はもう一俵つけて、十一俵呉れるから、是非とも俺の方に頼む――なあに、本家ではまた他に頼む口があるべからなあ」
 そのあとから源太郎が来て、その上もう一俵出すと言つた。源治も負けずに、最後の踏んばりで、更にその上一俵出すと言つた。だが本家はまたその上に出た。源治はビツコ足をひいて五度も六度も一里余の遠路を通いつづけたが、ついにそのせり合いに敗れ去つた。本家は十六才の子供に、住みこみで年に十四俵の米に作業着一切をもつという前代未聞の高賃銀を約束することで、別家の源治を沈黙させてしまつた。
 田圃がスツカリ乾いて、馬耕が差し迫つて来ているというのに、若勢の争奪戦に敗れた源治は、乾大根の尻尾みたいにしなびた顔を、さらに青くして寝こんでしまつた。
 その枕もとに、隣村の顔見知りの千代助がヒヨツコリやつて来て、ずんぐりとした膝を折つた。
「なんとだ、いい嫁があるが、貰わないか」
 そうだ、働き者の嫁をもらえば、春野は切りぬけられる――源治は思わず枕から首を浮かしたが、直ぐまた落した。嫁をもらう当人の佐太郎がいないのだ。
「貰うにしたつて、戦地に行つてるもの、どうにもならないよ」
「行つてるままでいいツていうのだよ」
 枕もとに木の根ツこみたいに坐つた千代助は落着き払つてのんびりと話をすすめた。
「どこの家だ、それは」
「杉淵の清五郎の姉娘だ」
「えツ――清五郎」
 隣村の杉淵の清五郎と言えば、一寸した旧家で源治などよりも余計に田をつくつている裕福な家であつた。しかもその姉娘の初世というのは、器量はよいし、よく働くしで評判の娘であつた。それが、もう二十四にもなるというのに、あちこちから持ちかけられる縁談を振り向きもしないということを源治も耳にしていたので、無論佐太郎の嫁にということなど考えてみたことがなかつた。
 家の格から言つても源治には望めそうもない相手である上に、当人の佐太郎が家にいもしないのに、初世を嫁に呉れるというのだ。あんな働き者の嫁がもらえたら、もう田圃は心配がいらない。だが、あんまり棚からボタ餅のうまい話に、なんだか狐につままれたような変な気がして、なんと返事していいかまごついた。
「呉れるというなら、貰いもするが、ほんとかよ、ほんとに呉れるツて
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