押しかけ女房
伊藤永之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)蟷螂《かまきり》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)どう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
一
うす穢い兵隊服にズダ袋一つ背負つた恰好の佐太郎が、そこの丘の鼻を廻れば、もう生家が見えるという一本松の田圃路まで来たとき、フト足をとめた。
いち早くただ一人、そこの田圃で代掻をしてる男が、どうも幼な友達の秀治らしかつたからである。
頭の上に来かかつているお日様のもと、馬鍬を中にして馬と人が、泥田のなかをわき目もふらずどう/\めぐりしているのを見ていると、佐太郎はふと、ニユーギニヤに渡る前、中支は蕪湖のほとりで舐めた雨季の膝を没する泥路の行軍の苦労を思い出した。
過労で眼を赤くした馬の腹から胸は、自分がビシヤ/\はね飛ばす泥が白く乾いていた。ガバ/\と音立てて進む馬鍬のあとに、両側から流れ寄つて来る※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]みたいな泥の海に掻き残された大きな土塊の島が浮ぶ。馬が近ずくと一旦パツと飛び立つた桜鳥が、直ぐまたその土塊の島に降りて、虫をあさる。
また馬が廻つて来て、桜鳥は飛び立つ。そのあとを、馬鍬にとりついて行く男の上半身シヤツ一枚の蟷螂《かまきり》みたいな痩せぎすな恰好はたしかに秀治にちがいなかつた。
「おー、よく稼ぐな」
内地にたどりついて最初の身近な人間の姿であつた。思わず[#「思わず」は底本では「思はず」]胸が迫つて来て呼びかけた声を、振りむきもせず一廻りして来た秀治は、顔を上げると同時に唸つた。
「おや、佐太郎――今戻つたか、遅かつたなあ」
しかし、そのまま馬のあとを追つて背中で、
「どこに居た、今まで」
「ニユーギニヤだよ、お前はどこで負けたことを聞いた」
「北海道の帯広だよ、近いからな、直ぐ帰つて来た」
「ほー、そりや、得したなあ」
酔つたように突ツ立つている恰好はモツサリとして顔は真黒にすすけていたが、やつぱり上背のある眼鼻立のキリツとした佐太郎にち
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