京に帰つた自分には、固よりこのやうな享楽の機会は絶対に与へらるべくもなかつた。私はせめてもの代償を亦蓄音機に求めた。例へば松尾太夫の吉田屋の如きは私の最も聴かむと欲する音楽であつた。生憎このレコードも亦求めて得られぬ恋に過ぎなかつたが、併し私は端唄や、清元や、新内の「明烏」のやうなものを買ひ求めて、暫くの間これに聴き耽つてゐた。さうして、悲しいかな、私は此処でも亦日本音楽の「限界」に触れることを余儀なくされたのである。
 然らばその限界とは何であるか。それは Fiat lux(光をつくる力)を欠くことである。繰返し繰返しこれ等の音楽をきいてゐるうちに、私の心は陰鬱に、ひたすらに陰鬱になるのみであつた。私の心は底なき穴の中にひきずり込まれて行くことを感じた。さうしてその無底の洞穴を充すものは、はてしなき憂愁の響のみであつた。無限の哀音は東西を絶して薄明の中を流れる。私はこの「絶望」の声の中にゐるに堪へなくなつて、再びべートー※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ンやバッハの音楽に救ひを求めた。
 徳川時代に発達した日本の音楽は――三味線音楽は、何故に此の如き絶望の音楽となつたか。

     5

 私は更に一例を附加する。日本をたつとき、私は土産にするために復刻の哥麿浮世画集を持つて行つた。千九百二十二年の八月、ハイデルベルクの下宿に落付いたとき、私は日本好きの其処の夫人に、この画集中彼女自身の選んだ四五葉を贈つた。さうして自分は鏡台二美人図(上村屋版、橋口五葉氏の説に従へば寛政七年頃の作であるらしい)をかけて置いた。前向きに鏡に向つて、赤い櫛を持つて前髪との境をかきわけようとしてゐる、浅黄の縦横縞の浴衣を着た女は、暫くの間その婉柔な姿勢と顔とを以て私の心を和かにして呉れた。併し時を経るに従つて、そのしどけなくとけかかつた帯下や、赤い蹴出しを洩れる膝などが私の心をかき紊すやうになつて来た。私は五月蠅くなつてそれをとり外してしまつた。さうすると、或日夫人が私の部屋にやつて来て、それに気がついたと見えて、貴方はウタマーロを何処にやつたのですかときいた。私は、それは Erhebend(高める力あるもの)でなくていやになつたから取外してしまつたのです、と答へると、彼女は独逸流の卒直を以て、ではなぜそんなものを私に下すつたのですと反問した。「それは Erhebend ではないが Anmutend です、それでいゝぢやありませんか」――これが私の答へであつた。さうして私は今でもこれを遁辞だとは思つてゐないのである。
 此等の芸術が人の心を高めること少くして而もこれを楽ましめることの多いのは何故であるか。人を Anmuten する点に於いて極めて長所を持つてゐながら、これを Erheben する力を欠くやうな芸術は如何なる地盤から生れて来たか――これが欧羅巴から私の持つて帰つた問題の一つである。
[#地付き](大正十四年八月)



底本:「日本の名随筆 別巻94 江戸」作品社
   1998(平成10)年12月25日第1刷発行
底本の親本:「阿部次郎選集4[#「4」はローマ数字4、1−13−24])―家つと」羽田書店
   1948(昭和23)年5月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年11月28日作成
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