批評をきいて見たいと思つたが、遂にその機会を得なかつた。ガイガーはアメリカの伯父を訪問したとき、其処で日本の総理大臣T氏の令嬢に日本の音楽をきかせて貰つたと云つてゐた。その時彼の受けた印象はどうであつたか。彼は Kolossal klagend(極めて歎きの深い)といふ要領を得た二語にその印象を要約した。吾々の音楽の溜息と深い歎きとは、教養ある欧羅巴人の魂にも亦直ちに通ずるところがあるのである。
日本の音楽が必ずしも吾々の間にのみ通ずる地方的音楽でないことを発見したのは、私の深い喜びであつた。
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千九百二十三年九月、東京の大震災の後十日、未だ何の消息もない家族の運命に対する不安を抱きながら、私は加茂丸といふ小さい客船に乗つてマルセーユから帰国の途に就いた。当時日本に対するセンティメンタルな愛が極めて昂進してゐた私も、多くの日本人の顔を見ると一寸不思議を感ずるぐらゐに欧羅巴化してゐた。さればと云つて東洋行の英吉利人の中には、欧羅巴人の顔の美しさを代表するやうな男女がゐるわけもなかつた。同船の英吉利人は、往航の場合と等しく復航にも亦私の心を暗くした。この航海に於いて割合
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