れるほどそれほど声が美しかつたばかりではなく、一種支那でなければ味ふことの出来ない哀愁をこめた旋律が、その暗い狭い汚い一室に巴渦を巻くやうに漂ひわたつた。私は急にそこに芸術のエンヂエルが下りて来たやうな感じに撲たれた。
それは何処の国にもそれ相応に独殊な歌の旋律はあるだらう。ロシアにはロシアの旋律があり、フランスにはフランスの旋律があるだらう。日本にも日本特有の旋律があるだらう。しかも、このセンチメンタルな歌声は? 絶えんとしてわづかに続くと言つたやうな、または身も魂もそれに打込んで了つたといふやうなその悲しい美しい恋の曲は! 実際、これは支那でなければ味はふことの出来ないものではなかつたか。
歌曲の終るのを待つて、
「好いな……。矢張、支那だな。何んな場末でも、支那は支那だな。本家だな! といふ気がするな。※[#「滴のつくり」、第4水準2−4−4]女不[#レ]知亡国恨、隔[#レ]江猶唱後庭花、多恨な杜樊川でなくとも、これをきくと涙を誘はれるよ」
「本当ですな、わるく感情的ですな」
「これで好い心持になつた――」
汚い茶湯台も、不愉快な寝室も、低い天井も、薄暗い空気も、何も彼もすつかり忘れて了つたやうに私は愉快になつた。成ほどこれでは酒なんかいらないわけだ。酒よりもかうした歌の方がもつともつと蠱惑的だ。……もつともつと肉体的だ……。
「もうひとつやれ! もうひとつ……。今度はお前がやれ!」
私はかう小さい張鳳に言つた。
張鳳はきまりがわるさうに※[#「火+亢」、第4水準2−79−62]のところに身を寄せたが、今度は椰子といふ木片と木片とを合はせたやうな単純な楽器を手に持つて、それを合はせたり離したりして、それから起る音の旋律に節を合はせつゝ頻りに声を立てゝ歌つた。私は次第に何とも名状し難いセンチメンタルな心持になつて行つた。私の体はその歌の旋律に強く緊めつけられるやうな感じを受けた。ひとり手に涙が絞り出されて来た。
底本:「定本 花袋全集 第二十一巻」臨川書店
1995(平成7)年1月10日発行
底本の親本:「アカシヤ」聚芳閣
1925(大正14)年11月10日発行
入力:tatsuki
校正:林 幸雄
2009年4月9日作成
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