伴れて行つて下さい!」
 Bが猶ほ真面目な顔で沈黙を続けてゐるのを見て、時子は溜息をついて、「私だつて旦那がいやぢやないんです。いやではとてもこんなにしてはゐられはしません。しかし本当にはそれより矢張貴方の方が好いんですものね…………。貴方だつてさうでせう? 奥さんがいやぢやないんでせう。しかし奥様よりも私の方が好いんですもの……。何故、好い同志がかうして離れてゐなくつてはならないんでせう。二人一緒になれば、眼に見えて好いことがちやんとわかつて居りながら――」
「…………」
 Bは答への代りに、二三歩近寄つていきなり女をかき抱いた。時子も強くBを抱き緊めた。いつか男の眼からは涙が流れた。女は低い欷歔《すゝりなき》の音を立てた。

         二

「それで、そのアンナといふ女はこのハルピンにゐるの?」
「さう――」
「ハルピンの何処に?」
「何でも郊外ださうだ。エスカスとかいふところがあるかね?」
「あるわ」
「何処だえ、それは?」
「川の向うですがね。避難民などがゐるところですがね……。そこにゐるんですか?」
「さうだ。それを是非訪ねなければならないのだ……。このハルピンに来るについて、二つの目的――ひとつはお前に逢ふといふこと、それはかうして思ひ通りになつたが、もうひとつはそのアンナに是非逢つて行かなければならない」
「それで貴方のお友達から手紙でもことづかつていらつしやつたの?」
「手紙ばかりぢやない、金も少し許《ばか》り頼まれて来た――そのアンナといふ女がね、それは不思議な女でね。何うしても、僕の友人を忘れないんだ。東京にも一度来たことがあるんだがね。何と言つたつて外国人だからね。友達も負けずに深くは思つてゐるにはゐるのだけれども、周囲が喧《やか》ましくつてね。それで半年ほどゐてウラジホに帰つたんだがね? いくらなだめても、賺《すか》しても、友達でなくちやいやなんださうだ。女といふものは、思ひ込むと、あゝいふ風になるもんかも知れないな……。多少その恋が宗教的になつてゐるんだからね……」
「そんな人なの? それで矢張商売をしてゐる人?」
「何でも、ウラジホではアンナつて言へば、大したもんだつたさうだ……。踊りも唄も非常に旨いつていふ話だよ。一度、東京でも新聞に大々的に書いたことがあつたよ」
「それで、今でもその友達ツていふ人から、お金が来てるの?」

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