も察せられる。良寛様に近い年代に、美術的、芸術的に著しき作品を遺したものは大雅である。その大雅も真面目に書かれた細字は、十分良寛様と共通するものであるのであるが、ともすると遊戯にふけりたがる大雅は、書道を自己の手すさびのおもちゃにしすぎて、豊饒な天性の技能をいたずらに浪費する癖があり、真摯そのもののみである良寛様とはイデオロギーを異にする。
 さらば良寛様の道の伴侶を何人に見出すべきかということであるが、私はまず大徳寺の春屋禅師を推すべきであると思っている。美的価値を問う時においては、それを弥々力説するものである。良寛様の書において今一つ注目されることは、童児の手習いに見る稚拙そのものの含有である。
 無邪気な子供の手になる手習、それは必ず良寛様の関心を呼ばないではいなかったであろう。それが良寛様の書の上に影響していることは察するに難くない。しかし、一千年前を目標として、当時の能書を師範として学び尽した良寛様、ゆくところまで行きついた良寛様、いわゆる名手になりきった良寛様は、今さら子供の稚拙そのままにくだけてゆくことは出来なかったようではあるが、それでも晩年の細楷には童年書家の影響を物
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