代であって、今日でないというのは、これも中国の食器をみると分る。中国において食器が芸術的に最も発達したのは古染付にしても、赤絵にしても明代であって、清になると、すでに素質が低落している。現代に至っては論外である。むべなるかな、今日私たちが中国の料理を味わって感心するものはほとんどない。
さらに食器をみると、その料理の内容までほぼ推察がつく。中国食器の絢爛《けんらん》たる色彩と外観の偉容と、西洋食器の白色一点ばりの清浄主義と、日本食器の内容的な雅味とは、それぞれの料理の特徴を示すばかりでなく、お国ぶりまでも窺わせてくれる。
このように、いかなる方面からみても、料理と食器とは相離れることのできない、いわば夫婦のごとき密接な関係がある。料理を舌の先に感ずる味だけとみるのは、まだ本当の料理が分らないからである。うまく物を食おうとすれば、料理に伴って、それに連れ添う食器を選ばねばならぬ。もちろん、ひいては料理は食う座敷も、床の間の飾りもすべてがこれに伴ってくるが、そのもっとも密接なる食器について意を用いることが、まず、今日の料理家に望まねばならぬ第一項であろう。
よい料理とはなにか、よい食
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