トロとしてよろこぶのである。ここばかり食うのには、特別投資を必要とするわけである。婦人はというと、これは羊羹《ようかん》色の脂身の少ない部分、男が食べては美味くないというところをよろこぶ。これは体質の相違だろうから、一概《いちがい》に女をわからず屋とするわけにはいかぬ。男だって、鮎《あゆ》は照り焼きにかぎるとか、にしんや棒だらなんて人間の食うもんでない肥料だ、なんていう向きもなきにしもあらずだから。
 まぐろの食い方に雉子《きじ》焼きというのがある。これはまぐろの砂摺りを皮ごと分厚《ぶあつ》に切って付け焼きにするのである。体中で一番脂肪に富んだところであるから、焼くのがたいへんだ。家の中で焼こうものなら、家中|煙《けむ》ってしまう。しかし、焼きたてのやけどするようなものを、大根おろしをたくさんおろして、醤油《しょうゆ》をかけて炊《た》きたての飯《めし》で食うと、空腹のときなどは、飯が飛んで入るものである。下手《へた》なうなぎよりか、よっぽど美味い。しかし、壮年《そうねん》のよろこぶ下手《げて》美食であることはいうまでもない。
 下手といえば、まぐろそのものが下手ものであって、もとより一
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング