ら、それでは天金のてんぷらをどれだけ食ったかというと、なにろくに食ってもいない。そのくせ、あそこのてんぷらはかやの油を使うからうまいなどと、もっともらしいことをいう。そんなことをいわれると知らないものは、かやの油というものは高いものなんだ、などと思う。しかるにかやの油なんてものはかえって安いものだ。そうすると、かやの油、かやの油と宣伝して、結局どういうことになるかね……。
 だから孔子あたりが昔から、飢餓は食を弁ぜず、食するひとはあれど食を弁ずるひとは少なしなどといっているが、ほんとうだ。
 僕は徹底的にものを食ってきたが、小さい時から味をぐっとこう見詰めている癖があったね。それになんというか楽しんで食うという気分があったね。物を自由に食うには実際問題として金がなければ食えない。僕は貧乏書生だったから、そう自由には食えなかったが、しかしおもしろいことがある。
 僕が二十一、二の頃でもあったろう。あるところの事務員をしていた。僕の上にいた課長というのが、後に資生堂の重役になった男だが、この課長が僕|等《ら》といっしょに昼飯を食う。僕らは金がないからろくなものは食わないが、課長ともあろうも
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