らし病気ばかりしているひとびとの姿は、まことに笑止千万といいたい。ラジオ、テレビ、雑誌で毎日のように栄養を説いているが、これは栄養失調者がこの世の中にいかに多くはびこっているかを物語っているものといえよう。
 幼稚な栄養研究者は、栄養食と栄養薬を混同しているようである。栄養食とは口に美味で人間を楽しませ、精神の親となるもの。栄養薬とは病人をいよいよ病人にするばかりの不愉快きわまりないもの。もう一度いってみよう。栄養というものは人間が自己の欲求して止《や》まぬところの美味。これを素直にとり入れ、舌鼓打ちながら、うまいうまいと絶叫し続けるところに、おのずと健康はつくられ、栄養効果は上がるのである。多くの実例が示すように、栄養食がまことにまずいものと評されているようでは、理屈通りの栄養効果は望めるものではなかろう。
 食を説くかぎり食品そのものの持つ特質を鋭敏に察知し、そこから料理を工夫発見し、合法的に処理するなら、食ってうまい。うまければ栄養は申し分なく発揮され、身心|爽快《そうかい》、健康成就と落ちつくのである。こうなれば料理の考え方も芸術的になり、おもしろくもなるというのである。世間のインチキ料理、でたらめ料理にごまかされて生活しておるとすれば、世の中が殺伐になるのは当たり前だ。「衣食足りて礼節を識《し》る」は今日においても真実の言だ。わたしは、わたしの体験を誇りがましくいうつもりは毛頭ないが、今述べたような食生活を長々と続けた結果、わたしは七十余歳の今日まで、およそ病気らしい病気をしたことがほとんどない。常にひとから酒後の顔色と間違えられるまでに血色が良いらしい。第一寒さを覚えぬ。暑さも平気である。仕事にしても通常人の数倍はして来たつもりである。能《よ》く笑い、能く談じ、金のないのも、ひとの笑うのも一切苦にならぬ。だから健康なのだとひとはいう。己の欲する好餌《こうじ》ばかりの生活は、これこの通りということになろうか。



底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
   2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
   1993(平成5)年発行
初出:「芸術新潮」
   1954(昭和29)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インター
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング