点は重々お断りする。
 そうはいってもずいぶんクドかったじゃないかとの誹りはあるだろう。だがそれは小生が毎度のこと魯山人はアクが強いといわれる点で、これまた今分のところ止むを得ない次第である。
 さだめし読者も前山翁も分った分った、もう分った分った、もう分ったよう……を繰り返されていたことだろう。
 魯山人のいうところ、要するに好きで窯を造る以上、自分ですべてを作ること、自作することによって意義があるというのだろう。分った。
 自家窯といえども雇傭の工人に作らしたのではお庭焼を出でないというのだね。つまり芸術にならないインチキ芸術だというのだ。分った。
 それから自作にかかるまでには鑑賞が達していなければならぬ。書が出来、画が非凡にまで進んでいなくちゃいかんというんだろ。分った。それだから伊達《だて》じゃいけない、真から底からのまこと心からの仕事でなくちゃ駄目だというんだろ、分った。
 しかも天才的な神技が入用だというんだね。分った。……
 土で出来るんじゃない、釉で出来るんじゃない、学校程度の窯業知識で出来るんじゃない、絵描き程度の画では絵付けがものをいわない。
 現在の図案家程度では図案にならない、帝展の工芸じゃしようがないというんだろ。分った分った……。
 しかしそうなると作陶資格ある者は満天下魯山人一人ということになるじゃないか、おい……冗談じゃないぜ。てな程度にまででも製陶認識を進めて貰いたいというのが私の希《ねが》いである。
 必ずしも素人、窯を築くなと一概的にいうのではない。



底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
   2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
   1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
   1934(昭和9)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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