りである。日本茶道の伝統を誇る茶人にして、だんだんと降っていくこの有様は、遺憾というより他にない。これはどうしたことかと、私は幾度も考えてみたが分らない。俗書はなにから生まれるか、なにが俗書を生むかである。殊に家元の人々といえば、茶の宗家として由来|崇《あが》め続けられている人々である。それがどうしたことか、かつての名茶人が必ず持ったところの茶人にかぎる持ち味というものは、後代の茶人には合点がいっていないようである。
 素人茶人の名家にしても明治以後となっては、あれほどやかましくいわれた御殿山さんにしても、その生涯を俗書で終わらしてしまった。ビール翁にしても、本牧、青山、赤坂にしても、みな屈指の大茶人のように万人に知られた人々である。それだけにその遺された筆跡を見ては意外の感を深くするのみである。いずれ劣らぬしっかりした書ではあるが、いずれも俗書であるのが残念だ。
 こうなってくると、茶道の教養というのもあまり当てにならないこととなり、吾人を迷路に引き入れてしまうのである。茶があればこそあそこまで行ったのだ。茶がなければ彼らの俗さ加減は知れたものではないというような低級なことになっては話もおしまいであるが、ともあれ松永さんのいう茶人の指導によりて優れた器が生まれ、初期茶人のような能書も生まれ、芸術工芸の理解も正しくなる……との説が、過去の実例によってだんだんと現実的に怪しくなってきている。作家よ茶を知れなんていわれてみても、聞く者今ではきっと眉に唾《つば》つけ笑っているような気がするではないか。かというて茶道教育なんて価値はない、無駄だ無用の長物だと私はいうのではない。むしろその反対に茶の教養のない人をみるたびに、不快ささえ感ずる者である。
 私のいうところは、従来の茶道教育そのままを受けさえすれば陶人には陶器が分り、陶器の要訣が悟れるというふうに相手を早合点さすような軽薄な説明は考えねばならぬというのである。十職《じっしょく》の家元に生まれたからとて、昔のような茶の心を心とした工芸が生まれるわけのものでもなし、これらは事実に徴して人の知るところであろう。指導だけでは必ずしも名器が生まれ出てくるものでないという証拠があまりにも多い。さすがに名人だ、彼にはなになにという茶人の指導があるからなあ……というような証拠は一つも見当たらない。ここはなかなかむずかしいところだ。
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