抱いて行つて俥を呼んだ。そして富坂まで走らせた。家へ帰ると戸をすつかり閉ざした。電燈の光でよく見れば実に美しい少年だ。俺は用意した鋭利な大ナイフを取り出して後頭部を力を籠めてグサと突刺した。今まで眠つて居た少年の眼がかつと大きく開いた。やがてその黒い瞳孔に光がなくなり、さつと顔が青くなつた。俺は真青になつた少年を抱き上げて床下の貯蔵室へ入れた。
(七)
俺は出来得る限り細かくこの少年を食つてしまはうと決心した。そこで一のプログラムを定めた。俺はそれから諸肉片を順々に焼きながら脳味噌も頬ペたも舌も鼻もすつかり食ひ尽した。その美味なる事は俺を狂せしめた。殊に脳味噌の味は摩訶不思議であつた。そして飽満の眠りに就いた翌朝九時頃眼が覚めると又たらふく腹につめ込んだ。
あゝ次の日こそは恐ろしい夜であつた。俺が死を決した動機がその夜に起つたのだ。実に世にも残酷な夜であつた。その夜野獣の様な眼を輝かして床下へ下りて行つた俺は、今夜は手と足との番だと思つた。鋸を手にして何れから先に切らうかと暫らく突つ立つて居た。ふと少年の左の足を引いた。其拍子に、少年の身体は俯向きになつた。その右足の裏を眺めた時俺は鉄の捧で横つ腹を突飛ばされた様に躍り上つた。見よ右足の裏には赤い三日月の形が現はれて居るではないか。君は此文書の最初に吾弟の誕生の事が記されてあつたのを記憶して居るであらう。考へて見ればかの赤ん坊はもう十五六歳になる筈だ。恐ろしい話ではないか。俺は自分の弟を食つてしまつたのだ。気が付いて少年の持つて居た包みを解いて見た。中には四五冊のノートがあつた。それにはちやんと金子五郎と記されてあつた。是は弟の名であつた。尚ノートに依つて見ると弟は東京を慕ひ、聞いて居た俺を慕つて飛騨から出奔して来たことが分明《わか》つた。あゝ俺はもう生きて居られなくなつた。友よ俺が書き残さうとした事は以上の事である。どうぞ俺を哀れんで呉れ。
文書は此で終つて居た。字体や内容から見ても自分は金子の正気を疑はざるを得なかつた。金子の死体を検査した時その舌は記述の通り針を持つて居たが、悪魔の顔と云ふのは恐らく詩人の幻想に過ぎまい。
底本:「村山槐多全集」彌生書房
1997(平成9)年3月10日増補2版発行
入力:小林徹
校正:山本奈津恵
1999年1月23日公開
2000年11月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
村山 槐多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング