その弟は奇体な赤ん坊として村中の大変な噂であつた。それは右足の裏に三日月の形をした黄金色の斑紋が現はれて居るからである。
或る日赤ん坊を見たその旅の易者は、「此の子は悪い死様をする。」と言つたさうだ。今思ふと怪しくも此の予言は的中した。俺も幼心に赤ん坊の足の裏の三日月を実に妙に感じた。其時はまた俺にとつて実に忘れ難い年であつた。それは父が十月に急に死んだ事であつた。父は遺言書を作つて置いて死んだ。俺と母とは一万円を貰つて離縁された。家は三つ上の長男が継ぐことになつた。父は親切な人であつたから、俺等|母子《おやこ》の幸福を謀つて斯く遺言したのである。事実に於て母と義母との間には堪へざる暗闘があつたのであつた。義母が家の実権を握れば吾母の迫害せられることは火を見るよりも明かであつた。そこで吾等二人は父の葬儀が終ると直に東京に出て来た。それ以来俺は一度も国へ帰らず又国の家とは全然没交渉になつてしまつた。二人は一万円の利子で生活する事が出来た。母は芸妓気質の塵程も見えぬ聡明な質素な女であつた。
十八歳の時彼女は死んだ。以後俺唯一人暮し遂に詩人としての放埒な生活を営むに至つた。是が吾経歴の大体である。この経歴の陰に以下の恐ろしい生活が転々と附きまとうて居たのであつた。俺は幼少から真に奇妙な子であつた。他の子供の様に決して無邪気でなかつた。始終黙つて独り居る事を好み遊ばうともしなかつた。山の方へ行つてはぼんやりと岩の蔭などに立つて空行く雲を眺めて居た。このロマンチツクな習癖は年と共に段々病的になつて、飛騨を離れる二年ばかり前の年であつた。半年ばかり私は妙な病気に悩んだ。其は背すぢが始終耐らなくかゆくてだるいのである。そして真直に歩く事が出来ず身体が常に前へのめつて居る。血色は悪くなり身体は段々痩せて来た。母は大変に心配して種々な療法を試みたが其内いつしか癒つてしまつた。その病中俺は奇妙な事を覚えてしまつた。其は妙に変つた尋常でない物が食べたいのである。始めは壁土を喰ひたくて耐らぬので人に隠れては壁土を手当り次第に食つた。そのまた味が実に旨い。殊に吾家の土蔵の白壁を好んだ。恐ろしい物で俺が喰つて居る内厚い壁に大きな穴が開いてしまつた。それから俺は人の思ひ及ばぬ様な物をそつと食つて見る事に深い興味を覚えて来た。人嫌ひで通つて居る事がかゝる事柄を行ふのに便利であつた。幾度かなめく
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