送ってそこで国外追放に処されなければならなくなったというのです。
慣れぬ他国も同然の日本へ来て、父に引き離されてわたくしたち二人だけ、身も知らぬ澳門なんぞへ追放されてしまったら、一体どうして生きていったら、いいんでしょう? スパセニアはまだ子供でしたけれど……わたくしたち生きた心地もなくて、毎日抱き合って、泣いてばかりいましたの。パパが心配して百方奔走して、日本国籍を取得しようとしましたが、わたくしたちの日本滞在日数が、二年と何カ月ではどうにもならず、毎日のように憲兵隊へ日参して、しまいにはその人が公使館武官でベルグラード在勤中、少しばかりのお世話をした縁故を辿《たど》って西部軍管区司令官の許《もと》まで、頼みにいってやっとのことでここに引っ込んで、――東水の尾の別荘に閉じ籠《こも》って、三里四方へ踏み出しさえしなければ、大眼にみておくという条件で、辛うじて国外追放だけは、免れたというのです。
「それで急に、こんな不便なところへ、越して来てしまいましたの。そうでなければわたくしたち、父と引き離されて澳門へつれて行かれなければならなかったんです。……わたくしたち女中も使っていませんでしょう? 敵性国人と見られて、監視されているんだから、辛《つら》くても謹慎して、少しでも憲兵隊の心証を害《そこ》なってはいけないと、父が心配して……わたくしたち、ラジオも写真機も、持っておりませんでしょう? 憲兵がここまで家宅捜査に来て、みんな没収していってしまったんですわ……」
それならもう、戦争も済んだんですから、いつでも長崎へ帰れるじゃありませんか! といったのに対して、ジーナは切れ長な眼を潤《うる》ませながら、こういう話をしてくれました。憂い辛いその四年間も過ぎて、いよいよ戦争も済んで、欧州の事情の判明した途端、この一家を驚かせたものは、独逸《ドイツ》の滅亡でもなければ、ソ連の東欧衛星国家群の確立でもありません。故国のユーゴ・スラヴィアが、チトー元帥《げんすい》を主班とする共産政権下の支配に移って、国内財閥の事業も財産もことごとく政府に没収されて、今では民間の資本というものが、ユーゴ国内に一つも存在しないということだったのです。
営々として心血を注いだ父親の一生の仕事は、まったく水泡に帰してしまったというのです。いいえ、一生の仕事が水泡に帰してお金のなくなったことなぞは、諦《
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