それもすでにやって、今では右の胸に肋骨はほとんどない、という話であった。
「どんなことをしましても、もう当人に、それだけの寿命しか、ないんでございましょうねえ。ほんの、気胸《ききょう》だけで丈夫になってらっしゃる方も沢山おありになりますのに……」
いつか車は、冠木門《かぶきもん》の大きな邸内《やしきうち》へ入って砂利を敷いたなだらかな傾斜を登っている。気が付いたことは、こんな大きな邸に住んでいるひとり息子では、私のような素人が清瀬村や肋骨を切る話なぞを、持ち出すまでもなく、あらゆる療法は、ことごとく試み尽しているであろうということであった。内玄関もあれば、車寄せの大玄関もある幽邃《ゆうすい》な庭園が紫折《しお》り戸《ど》の向うに、広々と開けている。車が玄関へ滑り込むと、並んでいた大勢の女中が一斉に小腰《こごし》を屈《かが》める。
「早速先生が、お訪ね下さいましたよ、わざわざ御一緒に……」
と婦人に声をかけられて、女中頭《じょちゅうがしら》らしい四十年配の婦人が、
「まあ、……恐れ入ります、若旦那《わかだんな》様が、さぞお喜びでございましょう」
と一際丁寧に、迎えてくれた。磨き込んだ板の間から大階段を上って、案内されたのは南向きの庭の見晴らされる、二階の奥座敷であったが、この座敷の広いこと、二十畳くらいは優《ゆう》に敷けるであろうと思われた。
小間使が茶を運んで来たり、菓子を運んだり、やがて母夫人が現れて、改めて来訪の礼を述べる。お通しして、病人を昂奮《こうふん》させてもいけぬから、おいでになったことを、当人に通じて来る間しばらく、お待ちを願いたいということであった。
やがて通されたのは、この廊下を東の方へさらに、間数《まかず》四つ五つも越えた奥座敷である。なんとバカげて、大きな邸だろうか? とびっくりしたが、これが日本拓殖銀行総裁の柳田|篤二郎《とくじろう》という人の邸であって、迎えに来たのがその夫人、寝ている病人というのがそのひとり息子と後で聞いては、なるほど大きな構えをしているのも無理はないなと、思ったことであった。
病人は、その奥座敷の床の間寄りに、厚い蒲団《ふとん》に仰臥《ぎょうが》している。見る陰もなく瘠《や》せ衰えて、眼が落ち凹《くぼ》んで……が、その大きな眼がほほえむと、面長《おもなが》な眼尻《めじり》に優しそうな皺《しわ》を湛《たた》えて
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