当な家なのであろう。婦人は自家用車に、乗って来た。車を待たせておいて、用談にはいったが、人品も服装《みなり》も卑しからぬ、五十二、三くらいの婦人であった。
この婦人の話によって、私にはなぜ老爺が若旦那《わかだんな》様は御病中御病中をふり回したのか、使いの主が私を呼び付けようとしたのか? その理由もハッキリ納得がいったのであったが、この婦人は、私に手紙をよこして再三老爺を使いによこした人の、母親だというのである。
そして、若旦那様と老爺の呼んでいる、その人というのはまだ二十五歳の青年で、胸の病気でもう二年越し、寝た切りの身の上だというのであった。
「一言わたくし共へ話してさえくれますれば、わたくしなり主人なりがお伺いして、こちら様の御納得のおいきになりますよう、事を分けてお話も申上げ、またお願いもいたしたのでございますが、何せ昨日初めてそんなことも聞かせてくれたようなわけでございまして……使いの者が、どんな失礼なことを申上げましたやら、さぞ、お気持をお悪くしていらっしゃいましたことと、ねえ」
と物慣れた静かな口調で、詫《わ》びた。用件はその息子の青年が、ぜひ一度私に逢《あ》って、お願いしたいことがあるというから、お呼び付けするようでまことに失礼だとは思うけれども、子供に逢ってやっていただけないだろうか? という頼みなのであった。
電話ででもお知らせ下されば、御都合のいい時いつでも、車をお迎えに出しますからというのである。そして言葉を継いで、子供も薄々は感づいているが、もうこの夏を通り越すか越さぬかのところまで、病気が来ているということを内々医者からも、耳打ちされている。ひとり息子ではあるし、できるだけのことはして、当人の思い残すことのないようにしておいてやりたいと思いまして……。
それで、こんな不躾《ぶしつけ》なお願いにも伺いましたようなわけで、どうぞ御不快に思召《おぼしめ》し下さいませんように、と袖《そで》で涙を拭《ふ》いているのを見ると、私も暗い気持がして、言葉が出なかった。傍らで妻も、眼頭《めがしら》を拭いている。そういう重篤な青年が、なぜ私に逢いたいのか、どんな用があるのか、それはわからぬがともかく、母親の言葉を聞いているうちに、私は今日までの不快がまったく、消え失《う》せるのを覚えた。消え失せたばかりではない、いいようなく胸が痛んできた。
「では、
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