きものであると思わぬことはない。三月になれば途中雪なだれの恐《おそれ》はない。
 五月下旬より草花時季となる。大江川端、尾瀬沼の周囲、水バショウの白花満地となる、雪国は雪色の花より咲き初めるの感じがする。綿スゲ雪を突抜いて咲く。黄色花、紫花、赤花、一々草花の名称は略す。尾瀬沼より沼山峠下まで延長拾五丁、甘草の花と化し、その内セキショウ、アヤメの満開は、山人の如き拙《つたな》き筆にては書き尽すことはならぬ。
 尾瀬沼の落口|燧岳《ひうちがたけ》の麓は、自然の公園、山人の植物保護拝借地である。キンコウカ、モウセンゴケ、エゾセキショウ、サハラン等、他は略す。
 植物保護に付一言す。
 愛山者は自然の植物動物奇岩昆虫等一切を愛護し、枯樹一本でも取り捨ててはならぬ、枯樹の配合は自然美を調和すること大なるものがある。
 一、八百四十余町歩風致保護林 福島県分
 一、参百四十六町歩事業制限地 群馬県分
 その外に植物保護のために要所要所に借地してある。人間の弱点好奇心は植物採取すべからずと掲示でもしてあれば採りたくなるものである。山を愛する人は採取すべからずである。山より掘取った植物が温度の違う地に移植出来得べき者にあらず。移植と蕃殖の可能の種類は、苗圃を作り愛好者に分譲する考えである。自然は我らに無償にて百花を爛漫《らんまん》たらしめ、芳香を馥郁《ふくいく》たらしむることを思わば、枝葉を折り採る事の出来得べきはずなし、万物の霊長たる資格を標示すべきである。
 秋となれば樹類と草種の区域を限定し、沼面の水草より変色し、黄色と赤色、紫色と種々の草の秋色が劃然としている、その美観!
 白樺の紅葉は全山一方里位、燧岳の紅葉は匍松《はいまつ》地帯より始まり、赤色ナナカマド針葉樹内に混色し、熊笹の沼山峠の近傍より大江川尾瀬沼の附近、三平峠の下の白樺帯の如き密林の紅黄葉は、到底日光、湯本、伊香保、榛名山、塩原、十和田、碓氷峠等にて見る事は出来ぬ。尾瀬沼は他に例のない紅葉と草色の紅黄を取り交ぜて大自然の神苑であるというてよろしいと思う。
 ただ惜むらくは紅葉の期節は短くして十月上旬に限られていることである。
 尾瀬沼保護につき、山人の抱負の一端を披瀝《ひれき》するも敢て徒労ではあるまい。
 尾瀬沼は如何《いか》にして保存すべきか。学生村を創設し、享楽場として自然を有意義に利用せんとする企《くわ
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