活を求めて渡る間道の一つでもあるのだ。中央アルプスの主稜に新雪の閃耀が反映するころになれば、乗越の熊笹の斜面はきつね色にこげるだろう。そうするとほとんど訪う者もなかったこの名もない峠に人の影が急に射《さ》して来る。その人影は、乗越の南斜面からはるかに遠く流れている飯田松川をまっすぐにさかのぼって来て、乗越の北斜面、与田切《よたきり》川源流に面してかすみ網を張るのだ。人間の狡智の前には無心なツグミは毎年くりかえされる犠牲にすぎない。そしてかすみ網を張るために設けられた鳥屋《とや》は、鞍部の一角、奥南岳に寄った小高い場所に、森閑の象徴を凝《こ》らして静まりかえっていた。われわれの求めていた安息所もこれだった。
 木と葉っぱと草で作られた、たとえば人類がこの世に初めて作った家というものの原型はこれだったかもしれない。炊事道具と、ふとんと、ランプと、石油かんと、食糧を除いた生活必需品は完全に備わっている。入り口に手ごろの石で囲った炉を設けて、山のように積まれた薪《たきぎ》は、猟人の営みがまもなく開始されることを語っているのだ。念丈から熊笹の切り明け道を下って来たわれわれは、この狩小屋《キャバヌ》を見つけ出すと、どよめきながら走り寄った。そして赤々と火をたいたのである。もしその夜が晴れ上がったならば、満月に近い光芒は、あたりを一層神話めいた環境にしたかもしれないが、山の端をもれる輝きはなかった。そればかりかわびしい一時雨が、狩小屋の戸口に咲くエゾニウのか細い茎をゆるがして過ぎた。しかし昨夜《ゆうべ》の天幕で濡れたものが燃え上がる炎でどしどしかわいて行くのは、心のむすぼれを解きほごしてくれる魔術のようだ。熟睡が待ちかまえていたのは決して偶然ではない。
 平凡な美しさをペンに再現することはむずかしい。残る今一つの松川については、僕はこの感を深くするだけである。われわれが出発前推測した通り、飯田松川はその全体を通じて、あふれる平和な優姿《やさすがた》の中に、無量の感慨をこめてくすぐるようにささやく愛の言葉を持っていたのである。朝、乗越で東へ行く友と別れて、露に濡れた熊笹の中をまっしぐらに下ると、鋲靴の下で可憐な水のほとばしりに触れた。早くも展開した広やかな谷、それから無色に近い水の色、深淵に泳ぐ岩魚《いわな》の姿、みずみずしい大葉柳や楢《なら》、椈《ぶな》の森林、片桐松川の鬼面に脅
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