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鋭い南風が、音のない霧の波を念丈の頂にたたきつけていた。たそがれのあせた光がその厚ぼったい霧の裏にポッとにじんでいる時刻だ。頂上は寒い。霧は一切の視線を閉鎖している。だれもが疲れ切っているのだ。だのにわれわれの間には、口に表わすのはむしろ無用であるほどの喜びがみなぎっていた。それはなぜであったか。見たまえ。実に須臾《しゅゆ》の間であったが、風の鋭利な刃がしつこい霧の幕をズタズタに引き裂いて、やきつくようなわれわれの目の下にひねくれた片桐松川の水の輝きがあったからだ。苦闘二日のあの惨虐な谷の姿が!
きのう、片桐の部落を離れるころ、澄明な空気は全く熟して、蒼い穹窿《きゅうりゅう》は太陽の送る光のミサに氾濫していた。だのにりっぱな道が尽きて磧に下りついたころには、西南から流れる雲が天壇を隠蔽《いんぺい》して湿った風が狭い谷の中を吹き過ぎるようになった。そして約五時間の後に辛うじて天幕《テント》を張り終わったころ、可憐《かれん》な小品的野営地はもうもうたる雨足の裡《うち》にすっかり屏息《へいそく》してしまったのである。しかし野営地まではともかく道はあった。もちろんこの道は決して登山者のためにひらかれたものではない。それはところどころ川床の岩に黒ペンキで示された「監視路」の文字が、やがてこの谷にも入るであろうところの、伐木の近きを約束しているのでもわかる。谷の奥の山は、気のつまるほどの黒木におおわれて、既にアルプス的容貌から逸脱しているのだ。だがわれわれの目的は松川の谷を見ることにある。しかも谷の姿は非凡だった。
両岸から入る支流は、ほとんど全部が滝となって落ちている。中央アルプスの伊那側の谷はどれもそうだが、谷の奥になって悪場が出て来る。松川もやはりそのカテゴリーからはずれてはいなかった。下流で見たあの大きな流れがいったん山すそに遁入《とんにゅう》すると、急にくびられたように狭くなって、滝の多い岩壁を露出した「鰐《わに》のあくび」のような形相に一変する。そして奔下する水が、汚濁とは言わないまでもどこか無気味な不透明さをたたえているのは、源流に大きな崩潰《ぬけ》のある証拠なのだ。大ナメ八丁という場所は、烏帽子《えぼし》岳の頂稜から、真南に落下しているユワタル沢の合流点から始まる。わずかの間にすぎないが、花崗岩の一枚岩の川床に、滝と淵の数えきれない連続を、一本の糸で縫
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