は殆ど姿も見せぬという。猿は山畠に豆をとりに来るが、その数も少くなったという。数年前、信濃の猟師が、この山で大熊を捕えたが、格闘のとき頬の肉を喰い取られた。熊は百金に代えられたものの、頬の治療に八十五円を費やし、結局三、四ヶ月遊んだだけの損であったという。
 湯島村の経済に話は移る。
 貧しい村で、農産物は少しばかりの麦、粟、稗、豆のたぐいと、僅かの野菜にすぎぬが、それでも村で食うだけはある。いずれも山畠で、男の児は十二、三になれば、夏は一日一度は山畠に出る。砂糖もなく、菓子もなく、果物もない、この土地の子供は気の毒なものだ。夏の野に木苺《きいちご》をもとめ、秋の山に木通《あけび》や葡萄《ぶどう》の蔓《つる》をたずねて、淡い淡い甘味に満足しているのである。
 家々の生活は簡単なもので、醤油《しょうゆ》なければ、麦の味噌はすべてのものの調味を掌《つかさど》っている。鰹節《かつおぶし》などは、世にあることも知るまい、梅干すらない。
 早川はあっても魚は少い。このように村は貧しいが、また天恵もないではない。湯島の温泉から年々いくらかの税金も取れる、早川から冬は砂金が採れる。交通が不便のお蔭に物入りもなく、貧しいながらも困っているものは一人もないという。この兄弟も、銘々懐中時計を持っている。宗忠の家にも大きなボンボン時計があった。
 このように、碌なものは食わないが、それでも皆丈夫で、医者は一人もいないが病人もない。奈良田でも湯島でも、徴兵検査に不合格は殆どないと誇っている。
 牛を知らぬ、馬を知らぬ、人力車、馬車、自動車、汽車、電車、そんなものは見たことがない、車というのは水車のことで、小舟さえないから、汽船も軍艦も画で想像するばかり、もちろん白峰の頂上へでもゆかなければ海も見えない。東京を西に距《へだた》ること僅かに三十里、今もなお昔のままの里はあるのだ。

      十五

 話に実が入って夜は十一時になった。便所はときくと、この小屋の渓《たに》に向った方に板がある。その上からという。「蝋《ろう》マッチ」をてらして辛うじて板の上へ出たが、絶壁にも比すべきところに、突き出された二本の丸太、その上に無造作に置かれた一枚の薄板、尾瀬沼のそれにも増した奇抜な便所に、私は二の足を踏まざるを得なかった。空はと見上げれば星一つない。雲の往来も分らぬ、真の闇でそよとの風も吹かぬ夜を
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