とした訳がなるほどと肯《うなず》かれる。脚の下から北に走る国境山脈は、三俣山(千九百八十米、上州方面の称呼である。支脈東に延びて黒松岳、社山等を起し、中禅寺湖の南を限る。)でも宿堂房山でも、黒木の繁っているのはよいとしても、その間は一面の笹であるには驚いた。秩父の雲取山から金峰山に行く位の積りで、袈裟丸山から奧白根まで縦走して見ようかと思ったが、この笹ですっかり辟易《へきえき》してしまった。
 二時半に三角点を辞して、少し東に下ると例の剣が建ててある。国境はそれよりも更に東寄りで、東北に向った切明の跡は密生した若木に閉され、殆んど足の踏み入れようもない。南に向うものは疎《まば》らな笹の中を下るので、甚しく邪魔されるようなことはなかった。下り切るとやや深い笹を分けて二つの隆起を踰《こ》えた。三時三十五分である。二つ目の隆起は、字クワノキ平の標木があった。食慾減退の祟《たた》りがそろそろ現れて来たようだ。前に高く屹立《きつりつ》した鋸山の最高点へは登らずに済むかと思ったが、どうも登らずには通れぬらしい。この登りは恐ろしく急で手足を働かさなければならなかった。赭色の岩壁が段をなして連っている。拗《ねじ》けくねった木がその間に根を張り枝を拡げて、逆茂木《さかもぎ》にも似ているが、それがなければ到底《とて》も登れぬ場所がある。岩壁や木の根には諸所に氷柱《つらら》が下っていた。雨の名残りの雫《しずく》が凍ったものであろう。水がないので困っていた二人は、これで幾分渇をしのぐことを得た。最高点に登りついたのは四時十五分である。字サクナソリと書いた標木が立っている。ここは非常に眺望がよい、谷間はもう薄暗くなったが、連山は模糊《もこ》として、紫や紫紺の肌に夕ばえの色がはえている。それよりも美しかったのは入日に照らされた雲の色であった。自分らは暗くなるのを気遣いながらも、三十分ばかり遊んでしまった。
 鋸山を西に下ってまた上ると、字トンビ岩の杭ある峰の頂に出る。この山から国境山脈はぐっと南に曲るので、西に続く支脈にまぎれ込むことを心配したが、幸に切明けの跡を探り当てて、深い笹の中を迷いもせず下ることが出来た。もう全く暗い、二人で声をかけながら歩いても、ややもすれば互にそれてしまう。六時頃峠の上の鉄索の小屋についた。それに沿うて西に下ると峠の路に出る。十町ばかり下に電燈の火光が散点している
前へ 次へ
全13ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木暮 理太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング