番小屋であろうと思う。遠くもないようであるが、到底そこまでは行かれない。一層のこと今夜はこのまま夜明しをしようではないかと無造作に話がまとまって、右手の落葉松《からまつ》を植林した斜面を少し下り、下草の多そうな処へ寄り懸るように腰を据えて、藤島君は防水マントを被り、自分は木の幹や枝でばりばりに裂けた蝙蝠傘《こうもりがさ》を翳《かざ》して、全く徹夜の準備が出来た。あとは夜の明けるのを待つばかりだ。その夜明けまでの長さ。
とうとう長い夜も明けた。見ると妙な場所に陣取っていたものだ。今一間も下ると二人楽に寝られるいい平があったのに。足もとの明るくなると同時に歩き出したが、気候も温く下着も充分に着てはいたものの、十一月の雨中に一夜を立ちつくしたのであるから、体がぎこちなく手足が敏活に動かぬ。尾根は登りとなって深い笹が足にからまり、横から突風に襲われると、二人ともややもすれば吹き倒されそうで容易に足が進まない。それで風下の右手の谷へ下りて、昨夜火光の見えた方向へ辿り行くことにし、そろそろ斜面を下った。午前八時である。間もなく小さい沢に出てそれを下ると、鞍部から四十分を費して本流との合流点に達した。本流の傾斜はかなり急で、時折瀑布に近い急湍をなして、険悪の相を呈することもあったが、瀑と称すべきものはなかった。ただ砂防工事を施した場所が二ヶ所あってこれが滝をなしている。それを下るのが困難であった。ことに下の方のものは手間が取れた。幾回となく徒渉したが、水は不思議にも冷くない。後で聞くとこれは赤岩沢というのだそうで、その名のごとく赭色の崩岩が河原にごろごろしていた。二時間近く下ると左岸の山腹に道らしきものが見え、暫くして河を横断して筧《かけひ》の懸るのをみた。そこから右岸のちょっとした坂を上るとたちまち眼前に人家が現れた。折よく人が来たので此処《ここ》は何処でしょうと聞くと、砥沢だと答えたので、銀山平方面のみ下りおることと信じていた自分らは開いた口が塞らぬほどに驚いたと同時に、不用意に目的地の砥沢へ出られたのを喜んだ。
後で考えると自分らは、地図の小径に従って千六百八十米の圏を有する峰の右側を迂廻し、鞍部に出るとその小径は不明となって、別に古い路跡が殆んど等高線に沿うて、尾根の右側をからんでいたのでそれにまぎれ込み、国境から発源している最初の沢を渡り、小沢に沿うてその北の尾根に
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